雨に煙る旧天城トンネル

万三郎岳を下山し天城高原ゴルフ場脇の駐車場に着いて、真っ先に着替えをする。トイレ棟には泥洗いのブラシとホースがあり、しかも3、4人着替えできる部屋があった。すべての衣服を着替えて車に戻っても、先行した川崎の夫婦は戻ってこなかった。次の行動は、大宝山のリフトは強風のためパス、山の南側を通り国道135号に出て、ガストで昼食をとる。食後河津町まで南下し、今度は国道414号下田街道を北上する。河津七滝も見たかったが時刻は3時半を回っている。伊豆の山が険しいのと雨で暗くなっているので旧天城トンネルの見物を優先した。国道から旧道の山道に入り行くこと10分余りでトンネルの南側に着いた。これが川端康成の伊豆の踊子、松本清張の天城越えの舞台のトンネルである。トンネルの北側は八丁池、昭和の森へ、更に万三郎岳に続くトレッキングコースになっている。雨がひどいのでトンネルには入らず、写真に収めただけで引き返すことにした。ちなみに、映画伊豆の踊子のヒロイン薫はこれまで33年の田中絹代から74年の山口百恵まで6人が演じているが、私は67年の内藤洋子が好きである。

だるま山からの富士絶景

だるま山高原レストハウスからの富士山

道の駅は4時半を過ぎると営業終了のところが多いので、地域の情報を得るには夕方到着では用をなさない。「天城越え」しかり、最近できた「伊豆月ヶ瀬」しかりであった。今夜の宿は伊豆月ヶ瀬に定め、温泉施設湯の国会館に行った。天城山下山後5時間後の入浴となり、夕食の金目の干物定食は滅法界美味かった。翌5月18日は絶景の富士山を観たくって大瀬崎に向かうことにした。修善寺から金冠山戸田峠を越え西伊豆の戸田へ下りる途中、だるま山高原レストハウスから見事な富士山が拝めた。これまで北側の山からの富士山遠望ばかりだったが、初めて南側の富士を見ることができた。井田の煌めきの丘、大瀬崎の展望台から駿河湾越の富士を観たかったが、西からの雲がかかり富士の頂を拝むことは叶わなかった。それだけにだるま山からの絶景は僥倖であった。

三嶋大社で福太郎餅

三嶋大社の福太郎餅
富士山本宮浅間大社

今回の山行のもう一つの目的は、一之宮巡りである。私の地元出羽国は、山形県遊佐町の「鳥海山大物忌神社」がそれである。山と神社は深い縁がある。そこで今回は伊豆国の三嶋大社と駿河国の富士山本宮浅間大社を参拝する計画を立てた。三嶋大社は三島市の中心部に鎮座する神社で、東西に旧東海道、南に旧下田街道が走る。駐車場にから南面の鳥居に回り境内に入る。本殿、拝殿ともに安政の大地震後に再建されたもののため新しい。拝殿にお参りし、福太郎茶屋で縁起餅「福太郎」を注文する。9時過ぎと早いためほかに客はいないので、こし餡でくるんだ草餅はすぐに出てきた。程よい甘さに納得し、新東名高速道路を通り次の目的地富士山本宮浅間大社に向かう。10時50分、富士山本宮浅間大社に着く。楼門前の鉾立石を見て、拝殿に手を合わせる。帰りは湧玉池を眺め、葱ラーメンを食べてから富士山の西側朝霧高原に向かった。道の駅朝霧高原に立ち寄ったが富士山は眺められず、本栖湖、河口湖富士山の北側に回ったがすそ野をチラ見で来ただけで白い頂は拝めなかった。そこで三つ目の目的地、大月市にある岩殿山ふれあい館の白籏史朗写真館に向かった。

三か所目の白籏史朗写真館へ

岩殿山ふれあい館、2階の出窓から富士山が遠望できる

山梨県大月市は山岳写真家白籏史朗氏の故郷である。白籏さんは2019年11月30日に86歳で亡くなったが、岩殿山には氏の撮影した富嶽十二景からの写真が展示されている。私はこれまで福島県桧枝岐村、山梨県早川町の白籏写真館を訪れている。ここで三か所目ということになる。岩殿山ふれあい館には、高速道路トンネル上の駐車場に車を停め、山道を15分ほど登らなくてはならない。正に山岳写真館の名に値する。1階は氏の撮影した富士山の写真が、2階は展示室で昨年度の写真コンテストの入選作品が展示されていた。南西の展望窓からは大月市街と富士山が望めるのだが、あいにくの雲で富士は見られなかった。管理人に白籏さんの親の生まれ故郷、山形県旧日向村から来たことを話した。私の心の聖地、白籏さんの写真館は椹島ロッジだけとなるが、南アルプスの山小屋がコロナのため営業停止となっているので、小屋利用の赤石岳登山が出来ないので行けない。30分ほどの滞在で岩殿山を下りたら、日も暮れて急に寂しくなってきた。大月から中央道に乗り、帰路に着いた。

著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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