旅散歩第2回目は同じく遊佐町、吹浦から鮭の遡上する箕輪を通り、桜の名所中山河川公園の散歩とした。2020年11月1日、日曜日、10時30分に遊佐町吹浦のあぽん西浜に車を停め、とりあえず国道345号を北上することにした。月光川に架かる橋を渡り吹浦駅に出る。右は丸池・牛渡川、大物忌神社、直進すれば十六羅漢の看板を右に曲がり、線路沿いを西に向かう。踏切、鳥海大橋の高架下を通り、牛渡川沿いを箕輪に向かう。すると「吹浦石器時代遺跡」の看板がひっそりある。1919年の羽越本線工事の時、多量の貝殻が出土された5000年前の遺跡だそうだ。二両編成の電車が上っていくのを眺めながら吹浦浄水場を過ぎると箕輪鮭ふ化場が見えてくる。

遺跡跡のサイン

鮭の遡上を観るたくさん人

コロナ第3波にもかかわらず日曜日なこともあり結構人がいる。狭い川の中の鮭は4、5匹くらいだろうか。人の数が多いくらいである。箕輪鮭漁業生産組合によれば、鮭の遡上には2つのピークがあるそうで、10月中旬から末と11月下旬から12月中旬で、水系で1万~2万匹の鮭が遡ってくるという。観光客は県内にと止まらず北海道、関東、宮城のナンバーもある。Go To恐るべし。丸池はこの天気では写真映えしないので、牛渡川の梅花藻を眺めふ化場を後にした。10分ほど歩いて箕輪の集落に入ると、庚申塚、鳥海山の石碑が集落入り口にある。鳥海山の石碑は紀元2540年建立だ。今年が皇紀2680年と暦にあるので140年前、明治13年のことになる。もう一つの石碑は明治37年3月、夜学門人建之の畠山先生之碑とあるからこの村の青年たちに集会所で夜に実学を教えたものであろうか。この時期、尋常小学校の上の教育として高等小学校があるが、さらに学びの場として実業を学ぶところが出来つつあった。それの非公式の夜学講座のことだろうか。

牛渡川と箕輪のふ化場

升川の三上神社と二十三夜塔

箕輪から山際沿いに落伏には行かず耕地整理でできた歩道を歩き升川に入る。升川は直世地区では一番大きな集落である。するとトタン葺きの倉庫の壁に「シナリー化粧品」のピンク色の看板が貼られてある。従姉が販売している化粧品名で住まいも確か升川と聞いたが・・・。庭を掃いている男性の年を推し量るに、従姉の旦那より10歳は上のようなので違うか。(後日、従姉に聞いたら所長さんのお宅とのこと)村の中心部に村社三上神社がある。趣もあり、樹々の手入れも行き届いている。向かいには9体の地蔵が安置されている。右端の1体は3分の1ほどの背丈と小さい。子どもであろうか、それとも折られたのだろうか。頭巾とよだれ掛けが隠して分からない。地蔵堂の脇には「二十三夜塔」の石碑があり、祭の日にちは4月、7月、10月の23日である。二十三夜塔とは、庚申講と同じく民間信仰のひとつで、月を信仰の対象として「講中」が集まり、飲食をし、お経などを唱え、月を拝み、悪霊を追い払うという月待行事を行う、その証として建てられたものだそうだ。勢至菩薩を本尊としている。

升川の地蔵堂と二十三夜塔(左)

桜の札所・八十八ヶ所巡り五十一番

升川から歩道を南に300mほど歩けば、桜の名所中山河川公園の入り口に着く。中山集落は洗沢川沿いに20軒ほどが並ぶ集落で、下流から眺めると右の桜並木の先に鳥海山山頂が眺められる絶好の撮影スポットなのである。川に鯉のぼりも渡され桜の季節は多くの人で賑わう。11月のこの日、人家にも誰もいない。集落と川の間の整備された道を下流へと入ると、念仏塔と地蔵、毘沙門像など6つの石碑が建っている。毘沙門像の下部には建立した人々の名が刻まれている。もとはこの道がメインストリートだったのだろう、神社の鳥居も川の方を向いて建てられている。一度来たことはあったが素通りに近かったので、来春はゆっくり来てみよう。カワガラスが遊ぶ洗沢川沿いの農道を吹浦に向かう。鍛冶田橋を渡り菅野谷地を通り、吹浦駅を経てあぽん西浜に着いたのは12時30分のことであった。14570歩、9.9㎞の散歩となった。

中山河川公園の桜並木と洗沢川
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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