長野県と山梨県の県境に位置し、奥秩父山地の頭角を抜いている山が金峰山である。山梨県側では「きんぷさん」、長野県側からは「はんぽうさん」と呼ばれる、かつて修験道の霊山である。山梨県側からは金櫻神社、黒平から林道があり表参道を通り頂上へ着く。長野側からは川上村川端下から林道が延び中ノ沢出会いから参道となっている。深田久弥は、関東大震災の秋、金櫻神社から山頂へ、鉄山の道を断念し、雨の中野宿し翌朝川端下に下りている。しかし、今ここを通る人はまずいない。大弛峠まで林道ができている。花の百名山の著者、田中澄江もこの林道の開通を聞き、国師ヶ岳と奥千丈岳に登った翌日、大弛峠から金峰山に入り、大日岩を越え黒森へ下りている。ちなみに金峰山の花はシャクナゲで、這松とシャクナゲが密集していると書いている。
川上牧丘林道を大弛峠へ
大弛峠へ一番近い道の駅は花かげの郷まきおかである。産直施設と富士山の眺望が売りの施設のようだが、夜に入り夜明けに出る私にとっては関係ない。6月13日5時出発、大弛峠までのクリスタルラインを曲がりくねりながら牧場を越え川上牧丘林道を登ると日本最高所の車道峠大弛峠2360mに達する。鳥海山は2236mなのでそれより120m以上高いとは恐れ入谷の鬼子母神。4km先の金峰山は2599mなので、途中の朝日岳2579m、鉄山2531mのアップダウン3回行えば着くという初心者向けのコースである。駐車場はほぼ満車であったが、幸い1台空いていた。昼前に戻り大菩薩嶺を登る予定なので非常食だけ入れてシラビソの樹林に入っていく。朝日峠までは樹林の道でしかも最初のうちは登山道を改築中であったので通るのに苦労した。やがて普通の登山道となりずんずん進むと樹林帯を抜け、南に富士山がきれいに見えた。こんなにきれいに見える富士山は初めてである。
朝日岳からは五丈岩の金峰山
朝日岳には1時間後の7時12分に着いた。ここからは遠望に南アルプス、手前に五丈岩が乗っている金峰山が見えた。尾根道を下っては登り鉄山へは38分通過する。いよいよ金峰山へ170mの登りだ。這松が茂るガレ場の道を登ると急に平らになり方向が分からなくなる。マークを探し、大きな岩群を越えた先に金峰山のシンボル五丈岩が見えた。山頂の三角点は2995.2mだが、山頂はそれより4m高い。かつて五丈岩前の平地に奥宮があり、蔵王権現の像が安置してあったそうだと深田は書いている。ということは金峰山神社は長野県川上村梓山にあるのだから長野県側の呼び名、きんぽうさんが正しいのかもしれない。それはさて置き、ブロックを4、5段積み重ねた形状の五丈岩は誠に特異である。よくぞ何万年もこの形でいてくれた。岩の前に立つと20mはあろうか、マジ見上げた存在である。
えっ、鹿から車にぶつかられた
頂上にいた時、後から登ってきた登山者が大きな声で電話しているのを聞くともなしに聞いていると、林道で車に鹿がぶつかったので、修理を依頼している内容だった。日本全国、関東から南は鹿のパラダイスである。ところどころでその土地の鹿標識が道路わきに立っているのに出くわす。彼の車はBMWで右側をやられたそうである。深田は上黒平の宿で熊の肉をご馳走になっているが、今なら鹿肉ジビエというところか。さて、昨日登った瑞牆山の岩累々たる山容をカメラに収め、スマホの山岳会グルーブラインに瑞牆山の写真を送り、どこからの眺めであるかクイズを出した。平日の8時過ぎ、返信は佐々木さんが真っ先の正解であった。25分の滞在で8時半下山開始。10時15分大弛峠駐車場に着く早々、大菩薩嶺に向け出発した。