2019年5月23日の朝は、米子自動車道の蒜山高原SAで迎えた。蒜山高原と聞くとジャージー牛が有名で、その昔、八幡町が「八の字サミット」を主催したとき、土産のプリンを5年も経ってから開けたことを思い出す。さて、6時10分にSAを出て、大山夏道コース駐車場に着いたのは6時45分であった。2、3台開いた奥に車を入れ、「一木一石運動」に賛同し石を二つリュックに入れ登山開始したのは7時10分のことである。車道脇の斜め階段を登り、夏山登山道の合流点に出ると、「大山頂上2.8㎞」とある。両脇が石垣になっている広い石段の参詣道を登ること20分余り、二合目付近からは太いブナ林になる。左から射す日の光がとても気持ちよく、階段の道もそれほど苦にならない。それもそのはず、階段の中間ステップとして麻の網袋に石を詰めたものが置かれてある。膝を高く上げなくても上がれるので、登山開始時点では大腿筋に優しいのだ。

夏山コース駐車場にある「一木一石運動」看板

谷を渡りお経が聞こえる

5合目付近で登山道を整備している男女に会った。二人は大山頂上避難小屋のスタッフとのことで、今日は携帯トイレブースの設置が主な仕事だそうだ。彼女は登山道でさきほど見たステップ補助の麻袋に拾い集めた石を入れている。登山道の修繕を避難小屋を守る団体が受託したのだそうだ。今年の大山夏山開きは10日後の6月2日日曜日であるので、その前に整備しておきたいのだろう。10分ほど話を聞いてまた登り始めると、左の谷からウグイスの音に交じりお経が微かに聞こえる。空耳かと思いながら行者別れを過ぎ六合目で休んでいたら、二人の修験僧が上がってきた。鈴懸に結袈裟を掛け、右手に錫杖、左手に最多角念珠を持ち、桧笠のいでたちの青年僧である。リュックとウエストポーチは今風であるが、いい人たちに出会えた。信仰の山ではこんな出合いがあるのがうれしい。写真を一枚所望したら了を得た。

修験者装束で登る若い僧の二人

ダイセンキャラボクを抜け、頂上へ

五合目を過ぎるあたりから樹木が低くなり、北壁が崩落した弥山とその先の進入禁止の剣ヶ峰が望める。下を見返すと麓の大山町、そして日本海がきれいである。3日前に来たときは風雨強く、無理すれば登れなくもなかっただろうが、後日に回したのは大正解だった。八合目辺りから木道に変わり、国指定の天然記念物、大山キャラボク純林の大群落が山頂までの北西斜面に広がる。ここは木道が整備され周遊できるようになっているのだが、石室へは向かわず最短コースで頂上に向かうことにする。木道をすすむこと15分、9時25分で大山頂上の弥山に着いた。剣ヶ峰への稜線はロープで規制され立入禁止の看板が無秩序な登山者を遮っている。本当の弥山頂上は規制線から50m先の三角点なのだが、三角点マニアの私もこの人出では撮影に行けない。

北西斜面に広がるダイセンキャラボク

頂上石碑裏は崩壊の危機

4、5人が記念撮影待ちしている。自分の番になり「大山頂上」の石碑に座り、何枚も記念写真を撮った後は、傍らの木道に座り朝食を食べる。温かい日差しに恵まれ、30分休憩して下山する。行者別れから行者登山道を行けば北壁の絶景を眺められるのだが、奈良まで移動しなければならないので、夏山コースを下りる。11時10分駐車場に着き、大山火の神岳温泉豪円湯院の湯に行く。道後温泉以来のお風呂である。風呂の中で、米子の男性に大山の帰りだと話すと、頂上台座の裏側が崩壊が進んでいるため移転するし、避難小屋も改修工事が6月から始まると聞く。今年の11月に、避難小屋は2階を増築しトイレなどを改修し完成している。昼食に蕎麦を食べ、午後1時前出発した。米子道から中国道を進み、近畿道を経て美原ICから富田林へ下り、大淀、吉野と進み、奈良県川上村の道の駅杉の湯川上に着いたのは午後10時になっていた。

頂上の石碑の裏は崖で崩壊が進んでいる
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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