安佐SAに一泊した私は、6時半には宮島SAにいた。ここから瀬戸内海に浮かぶ通称宮島、正式には厳島が見える。これまで瀬戸内海は見たことがなかった。観光で神戸に来たことはあったが、ポートアイランドから海を見たところで瀬戸内とは言えない。広島湾、安芸灘の島々が逆光で光っている。7時10分、宮島口フェリー乗り場に着き、すぐ船上の人となる。だんだん大鳥居と赤い社殿が大きくなってくる。船を降り、鹿フンに注意しながら歩いていくと「日本三景宮島」の灯篭が見え、いよいよだと感じさせる。狛犬と鳥居をくぐり境内に入るが、目指す社殿はさらに先である。世界文化遺産の看板が下がる入り口から回廊を巡る。突き出したデッキで海上の大鳥居を背景に写真を撮る。ここの建物ほとんどが国宝、重要文化財で、ゆっくり見ていたいのだが宮島へ渡ったもう一つの目的がある。それは弥山の登山である。ロープウェーを使えば30分で頂上に着くが、私は当然徒歩での登山を選んだ。

厳島神社

弥山山頂からの大パノラマ

厳島神社から土産物屋の通りと一本隔てた通りを抜け、紅葉谷登山口へ向かう。コースタイム約80分の一般向けコースで、沢沿いの登山道をゆっくり登っていく。整備された道を小鳥の囀りを聞きながら標高を上げていくと、やがて分岐になる。さらに15分で弥山本堂と霊火堂のある広場に出る。社の脇から巨岩の小径を登ること5分、標高535mの弥山山頂に出る。旧字で彫られた二等三角点がぽつんとあり、巨岩の脇に弥山頂上の標がある。展望台はまだチェーンが架かっている。私の後に登ってきた年嵩の女性に聞くと、前は夫と廿日市内から毎日登っていたという。百名山はあらかた登ったという80歳の強者だった。山頂から、四国、中国の山の眺めを楽しみ、帰りは獅子岩駅からロープウェーで下りる。ゴンドラからは江田島を出たのであろうか、自衛艦が大野瀬戸へ出るところだった。急ぎ足の登山を済ませ11時に宮島を後にした。

弥山からの眺め

平和記念公園と原爆ドーム

 国道2号を東に向かい、12時に広島市平和記念公園(世界遺産)に着いた。この旅で登山以外の最大の目的はここである。90年前の日中戦争から太平洋戦争にかけて、多くの日本人は戦争は外地で他所事と思っていたが、米軍の空襲、そして原子爆弾2発で戦争が身近なものと知った。8月9日に落とされた長崎の爆心地には以前行ったことがあったので、もう一か所のここ広島を見ておきたかったのである。何組もの生徒が入場を待っている平和記念資料館に入る。東館のエレベータで3階に上がる。導入展示を一通り眺め、本館2階の「8月6日のヒロシマ」に見入る。順次展示を食い入るように見て資料館を出た。原爆慰霊碑を過ぎ、元安橋を渡り原爆ドームに歩を進める。吹き抜けレンガ造りの広島県産業奨励館は爆心地から近かったものの焼け残り、現在に原爆の悲惨さを伝えてくれる。日本人のみならず外国人も多く訪れており、ここで見たものを母国で伝えてほしいと思った。

原爆ドームの説明に見入る外国人観光客

漱石と子規の街、松山道後

国道2号で尾道に向い、西瀬戸尾道ICで通称しまなみ海道で松山へ向かう。向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島とそれぞれに見どころある島であるが、道後温泉に入らねばならぬので立ち寄らずに今治市に入る。国道196号を進み、苦労の末山の上の道後温泉駐車場に車を入れる。すでに子規記念博物館は閉館していた。坊ちゃんからくり時計を眺めているうちに、時計は5時半になろうとしている。残念なことに道後温泉本館は二階が改修工事中であったが、風呂には入れる。入浴料410円を払い、昔ながらの下足箱に履物を入れ、石造りの神の湯(男湯)に入る。松と鷺の陶板画の前に円柱の湯釜から湯が出ている様は明治の雰囲気たっぷりだ。2階で寛ぐことは叶わなかったが、八分方満足。湯を出て向かいの食堂で腹を満たし、土産物店をぶらつく。坊ちゃん、マドンナ、赤シャツ、野太鼓、タヌキなど、お馴染みの面々がアーケード内に配置されているのがうれしい。あまり遅くなってはいけない。19時20分、松山を離れ、石鎚山の玄関口、道の駅小松オアシスに着いたのは21時になっていた。

アーケード街の人形(左から坊ちゃん、マドンナ、野太鼓)
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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