「武尊をホタカと読める人は、山好き以外にはあまりいないだろう。」と深田久弥は『百名山』武尊山の冒頭に書いている。中年を過ぎた深田夫婦のたどったコースは、武尊山の北西、上の原から入り、頂上からは南の川場谷に下ったもので、現在のコースタイムで約8時間といったところであろうか。端から「一日で縦走するのは無理であろうから、(中略)野宿の準備をして行った。」下山路の家ノ串山から前武尊手前の剣ヶ峰までは痩せた岩稜で、鉄の鎖がついているところだ。今でもそれは同じで、武尊山登山には5、6つほどのコースがあるが、危険注意箇所は川場コースの不動岳から前武尊間とここ、そして裏見ノ滝コースの3か所である。私は、前年6月、奥白根山と合わせて武尊山に登るつもりでいたが、雨のため断念していた。そして今年2018年7月16日に至仏山と武尊山の2座を登るため、再び群馬県沼田市に来ているのである。

武尊牧場キャンプ場が実質の登山口

武尊牧場からのコースで登る

NHK-TVの番組『15分で百名山』では、武尊山へは裏見ノ滝コースを登り、下山は剣ヶ峰山を周遊する難易度の高いコースであった。そこで私は距離は長めであるが、標高差の少ない容易な武尊牧場から高山平、中ノ岳を通り山頂を往復するコースを選んだ。翌17日、沼田市にある道の駅白沢を5時に出て、片品村の武尊牧場スキー場内の車道を進みロッジ前の駐車場へ車を停めた。ここは標高1390mで山頂との標高差は約770mである。6時ちょうど登山開始したとき、もう一台車が来た。12分でキャンプ場に着き登山口を探すと、登山標識はわかりやすく標記している。ブナ林の中、三合平、花咲湿原分岐、田代湿原分岐を通り、高山平の武尊避難小屋に着いたのは7時23分である。登山開始から1時間半弱、切り株ベンチに座りおにぎりとお茶で簡単な朝食をとっていたら、もう一人中年男性が登ってきた。先ほど駐車場に来た車の人だろう。挨拶をかわし、先に行った彼の後を追う。

セビオス岳辺りからの中ノ岳?

岩稜の中ノ岳をトラ―バスして

避難小屋から30分ほど歩くと中ノ岳だろうか、岩山が正面に見えるあたりで彼を追い越す。なおも進むと岩山が大きくなり、岩登りがあるのではと少し不安になる。鎖場に出るが岩の割れ目に足をかけて登れば大したことなく登れた。展望のきく稜線を歩くと中ノ岳分岐に着いたのは8時50分である。ここは川場谷登山口から入る古くからの信仰登山の道との出合いで、多くの登山者と出会うことがあそうだが、今日は誰も登ってこない。三ツ池を指し示す標識に誘導され、山頂までの笹の斜面をトラバースする。山頂近くに日本武尊の銅像がひょっこり岩場に立っている。この山の名前の由来である日本武尊の東征と山とは縁が深い。伊吹山にも日本武尊の像があったのを思い出した。

日本武尊銅像が登山道脇に立っている

360度の眺めを楽しむ

武尊像から山頂までは10分足らずであった。9時15分に登頂した沖武尊の広い山頂台地には、一等三角点が四方を石に囲まれコンクリート基礎で厳重に守られている。方向盤も石造りのしっかりしたものである。単独峰の武尊山からは北関東、中越の山を目にすることができる。これまで登ったことのある谷川岳、奥白根山、赤城山、燧ケ岳、明日登る至仏山はもちろんのこと沼田盆地に高速道路が通っているのが見える。あいにく遠くの山々は白い雲が湧き出し見えなかった。20分ほど山頂にとどまったが須原尾根からも高手新道からも登山者が登ってこない。こんなに天気が良いのにどうしたことだろう。深田久弥も武尊山の結びに「出発点から終着点まで、一人の登山者にも出会わぬ静かな山行であった。」と書いているが、私の山行は12時の下山まで、唯一人の登山者に出会った山行であったと結ばなければならない。

沖武尊山頂の様子
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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