2018年6月10日、東北南部は梅雨入りした。梅雨と言えば雨。山登りに縁起の悪い雨の付く山に「雨飾山」がある。深田久弥は、雨飾山へ1度目は新潟県側から、2度目は長野県小谷村側から登ろうとしたが果たせず、3度目、戦後のある年の10月、長い間の憧れが達せられたと書いている。この山は志げ子夫人との思い出の山である。5月に荒島岳、伊吹山に登り、次の山として雨飾山と高妻山を調べた。高妻を先にしようか、それとも雨飾か、それによってアプローチが違ってくる。次の次、鹿島槍ヶ岳や五竜岳の登り方も知りたいので、糸魚川から姫川に入り小谷村から雨飾山から登ることにし、酒田を出発したのは6月14日10時であった。

雨飾山から北アルプスの山々

雨飾高原キャンプ場から登山開始

酒田を10時に出て、12時20分ころ新潟に着いた私は、白馬村までたっぷり時間があることから、新潟市西区にある中国料理家寶に寄り昼飯を食べることにした。ここは2男が就職浪人時代住んでいたアパートの近くにある店で、2男の所へ寄るたび食事をしていた店である。久しぶりの家寶の味はとても美味しく、英気を養ってくれそうだった。さて、小谷村では食事をとれないので白馬村まで下り、蕎麦を夕食とし、道を戻り小谷温泉の先にあるキャンプ場に着いたのは午後7時過ぎである。誰もいない駐車場の管理棟に登山届を出して、眠りに就いた。翌15日4時40分に起き、コンビニ弁当をパクつき登山開始したのは5時50分である。沢沿いの木道をしばらく歩くと「2/11、800m」の標識に出る。登山口から800m進んだということか。脇に雨飾山頂まで180分、荒菅沢まで90分の標識もある。ずいぶん丁寧な道案内である。ほかの山もこうでありたい。

荒菅沢の雪渓と布団菱

ブナ林を抜けると荒菅沢の雪渓

さらにブナ林の急登を登り、ブナ平に着いたのは6時30分である。荒菅沢まで30分の標識を後にし、布団菱の岩壁が見えるところに出たのは6時51分のことである。ここから荒菅沢を渡り、笹平までの急登を登らなくてはならない。荒菅沢は厚い雪渓に覆われている。そこへ私が出発したとき登山準備していた二人連れが私を追い抜いていった。6月の雪渓は難く締まっており、縁の出入りに気を付け横断できた。また急登の始まりである。700mの距離を450m登らなくてはならない。左に布団菱を眺めながら尾根道を登る。するとイワカガミとともにシラネアオイの群生が現れた。シラネアオイは我が家の庭4月に咲く花で、これだけの群生は初めて目にした。

尾根道のシラネアオイの群落

笹平から一登りし雨飾山山頂へ

笹平へは7時55分に着いた。一面笹の茂る広い高原で5分間休憩、SOYJOYと大福1つを食べた。笹平の向こうに雨飾山がぽっこり立っている。登山道が笹原を縫うように通り山の斜面につながっている。もう一登りで山頂だ。リュックを背負い直し歩みを進めると、新潟県側からの登山道の分岐になる。深田は雨飾山の文章に「近年梶山新湯から開かれた登山道」と書いている。ここから登りとなり、最後の急登を登りきると岩場の頂上になり、登頂は8時28分である。小さな祠と三角点が1基、その脇に山頂を表す黄色の標識が1本ある横に、一人の登山者が地図を広げている。雨曇りの空の向こうに雪を纏った白馬岳などの北アルプスが薄っすら見える。雨に降られず良かった。頂上に15分の滞在で下山し、登山口の駐車場に着いたのは10時35分であった。登るとき3台であった車は10台になっていた。

雨飾山の山頂に立つ私
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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