本格的に山登りをするようになって4年目、2018年になった。4月の30日間で、総会、役員会などなにがしかの行事が20日あった。5月になりようやく行事の嵐が治まったので、山行を計画することにした。高い所は雪が残っているので西日本の山を選び、観光も加えることにし、選んだのが荒島岳と伊吹山の2座と彦根城見学である。荒島岳は福井市の東、大野盆地のさらに東、九頭竜川沿いにある気品のある山である。標高は1523mと低いため、深田久弥は百名山を選ぶにあたり能郷白山と競合の末、荒島岳を選んだ。なにせ大野市街地から田んぼの向こうに美しい三角の山容が見える。深田は4つあるコースの中から、中出を選び小荒島岳を経て山頂に立ったようである。

山頂から大野盆地と市街地

晴れを願い、5月20日に出発

2018年5月17日から19日にかけて酒田は雨が続き、累積雨量は315㎜を記録し、我が家の敷地も排水が詰まり水浸しになってしまった。この年は孟宗が不作の年で、19日に最後の15本目を採った。それでも、20日の出発の準備として、カーバッテリーからのスマホ充電器、腰痛防止のクッションを買い、駐車場調べなどを念入りに行った。20日7時から車に荷物を積み込み、婆さんに朝飯を食べさせ、9時前に出発した。北陸道白山ICを初めて越えて福井北ICから中部縦貫自動車道に入り、大野市に着いたのは17時30分である。コンビニで明日の朝食用のパン2つを買い、健康保養施設「あっ宝んど」に入浴し、市内の蕎麦屋で夕食をとった。夜7時過ぎ国道158号、美濃街道を九頭竜川沿いに数キロ入り、カドハラスキー場跡の駐車場に車を止め、明日の朝に備え眠りに就いた。

勝原コース、標高差1170mを登る

勝原コースは、深田が登った中出コースとコースタイムは同じ3時間20分だが、距離が1㎞ほど短いのでここのピストン登山を選んだ。登り始めはスキーゲレンデのコンクリート道をまっすぐに登る。右に折れ斜面を2度曲がると元リフトの終点に着く。ここまで約30分である。少し行くと荒島岳登山口の標識が現れ、登山道らしい樹木に覆われた道を登る。ブナの大木に目を奪われながら登ると、標高935mの白山ベンチだ。樹々の隙間から北北東を見ると白山山脈南陵が見える。ブナ林の根元の登山道は荒れていて、補修もままならないようである。シャクナゲ平までの途中、絆と友愛の森(荒島愛山会ほか)の看板があった。百名山ブームの影響で荒島岳への登山が多くなり、必然登山道の荒廃も避けられない。ブナ枯れが目立つようになったので、ブナの苗木を育て植林する活動を行っているとの説明だった。登り始めてから1時間40分の7時14分、シャクナゲ平で朝食休憩をとることにした。芽吹いたばかりの若葉、ピンク色のシャクナゲの背後に残雪の白い白山が美しく聳えている。

白山ベンチから白山(左)と別山

立派な方位盤のある頂上

このような見事な方位盤は初

シャクナゲ平からは笹原の登山道を300mほどを上がる。暑くなってきたのでベストを脱いでリュックの雨蓋にはさむ。シャクナゲがみられる登山道であるがまだ早いのであろう、代わりにショウジョウバカマが歓迎してくれた。遮るもののない登山道からは白山山脈、飛騨の大日ヶ岳、能郷白山、大野盆地が見渡せる。8時20分、登山開始してから2時間45分、荒島岳山頂に着いた。頂上は広く、三角点と山名の標識のほかに石垣づくりの方位盤がある。2012年に作られた方位盤は最新のデザインで、四方の山々が3Dで描かれ、周囲は青い空が広がりそこに山名が書かれてある。円盤の中央は、近畿、中国、東海、中部の日本が描かれている、初めて目にする優れものだ。15分余り山頂に滞在して、登ってきた道を引き返したところ、シャクナゲ平までの下山路の小枝に紺色のベストが引っ掛かっているではないか。「あっ」と声を出したか確かでないが、リュック雨蓋にはさんだはずのベストがない。名前は書いてないが、まさしく私のベストであった。恥ずかしい思いを反芻しながら、10時45分登山口に下り立ったら、登るときは数台だった車が10数台止まっていた。帰りはまた、あっ宝んどの湯で汗と恥を流し、安土城跡に出発した。

荒島岳山頂で(ベストを落としたことに気づいてない)
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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