2017年9月1日、酒田を出て中房温泉に1泊。合戦尾根を登り、燕岳から稜線歩きを楽しみ、大天井岳で槍ヶ岳を背に写真を撮って、2泊目は大天荘に泊まった。ストーブがたかれたロビーを抜け、ぎゅうぎゅう詰めの2階に上がった。大天井岳に行かなかったガイドはすでにウィスキーをやっていた。この夜はまだ、睡眠薬はなかったのでいびき、寝返りでろくに眠られなかった。4時に起き、特別に朝飯を準備してもらい、薄明かりに見える槍ヶ岳で晴れを予感し、大天荘を40分に出発した。
初心者縦走路を快調に歩く
大天荘から東天井岳まではほぼ等高線の高さで続いている初心者向けの大縦走路である。寝ぼけ眼で歩いても心配ない。5時5分、槍、穂高連峰が白々してきた。5時15分、八ヶ岳方面から太陽が顔を出し始める。同20分、槍穂の頂が赤く染まってくるのに感動しながら、稜線の道をひたすら南下すが、絶景を見るとカメラを構えずにいられない。一人が止まれば誰もが朝日を背に西にカメラを向ける。5時45分東天井岳に出ると、横通り岳の先に常念岳が大きく現れる。デカい。圧倒的存在感である。快調に歩みを進めると、二ノ俣尾根の向こうに北穂、奥穂、前高が雄々しく一塊になって見える。その向こう、雲でかすんで見えるのは乗鞍だろう。これだから山は止められないのだ。花崗岩の真砂土の足に優しい道を十町に進み、7時30分、常念小屋への下りに入った。振り返ると槍ヶ岳が遠くなってしまった。常念乗越に東から雲が湧き出して来たのを見ながら下り、8時過ぎ常念小屋に着いた。
常念岳にあこがれた訳
いったい何時から常念岳が憧れの山となったのかはっきりしないのだが、思い当たることを書いてみる。その1、大好きな松本城天守閣からの眺めた常念岳が印象にあったから。松本城には2度来ている。松本平の人々にとって、眺められる山で立派なのは常念であり、それを聞いたからだろうか。その2、松本深志高校に憧れを持っていたから。テレビドラマの白線流しのモデル校で巷で有名になったが、昭和22年、全国中等学校優勝野球大会に出場したこの進学校に憧れがあったのだろうか。さて、「常念岳は北アルプスの他の深山とは違って麓の風景にマッチしているところに、芸術家気質の人に親しまれる理由があるのだろう。」と、深田久弥は日本百名山に書いている。もしかして、私の気質にマッチしているのからなのかも知れない。
ついに常念岳山頂に立つ
20分ほど休憩して、軽装で頂上を目指すことにする。大きな石が堆積しているのを踏みしめ、赤丸に導かれながら登るが、いっこうに頂上に着かない。ガイドのおじさんは途中で下山してしまった。着いたかと思うと前常念ともいうべきところで、さらに15分ほど頑張らなくてはならない。10時ちょうど、常念岳山頂に立った。祠とコンクリートに囲まれた銅製の案内円盤がある。狭い山頂で順番待ちし、槍をバックに写真を撮ってもらったが、どうして満足なスナップ写真に出会えないのであろうか。山頂に10分ほどいて下山し、常念乗越で昼の鮭弁当を食べた。11時30分、霧の立ち込める登山道を一ノ沢登山口に向け下山開始。14時ちょうど王滝ベンチに着くと、徐々にツアー客がイライラし始め、ガイドの体たらくに不満が漏れるようになってきた。もう1時間で登山口に着くのに、なんで40分も休まなくてはならんのか。ついにガイドを抜いてそれぞれ普通のペース下山しだし、15時48分一ノ沢登山口に着いたときには、1時間以上前にバスは待っていたのだった。私たちより20分も遅れて着いたダメガイドをほりかねの里で下ろしてからのバスの中は、非難の嵐が吹き荒れた。蝶ヶ岳温泉ほりでーゆで入浴と食事をし、酒田のバスターミナルに着いたときは24時45分であった。1日の行動時間12時間を2日続けた常念岳縦走は、満足感と不満が入り混じるほろ苦いツアーとなった。