2015年発行、日本百名山トレッキングコースガイド、104ページの付箋紙をようやく剥がすことができる。所要時間11時間10分の日帰りに行くにはなかなか腰が重い。そのうちと思っているうち齢65を過ぎてしまった。後輩Mが昨年9月に登り、暑くてばてた。後輩Gが先月登り、9時間弱は大変だった。そんな声を聞くとなおさらビビッてしまうが、「標準時間は1時間は多いよ」の励ましに意を決し、前日入りの9月12日登山と決め、酒田を出たのは11日の午後1時半である。
魚沼三山で立派なのが駒ケ岳
新潟県、魚沼三山とは駒ケ岳、中ノ岳、八海山である。私たちが関越道を東京方面に走っると、堀之内あたりに「越後三山」の看板がある。登山口の小出からは、深田が書いているように、「調和のある形で並」んでいる。実際、登山後の見晴らしの湯こまみからの風景は感動的であった。深田は、11月初旬、枝折峠から小倉山を経て駒ケ岳に登り、中ノ岳手前でテント泊した。積雪の朝、中ノ岳から八海山を縦走して、八ツ峰を終わった時は夕方になり、大崎口へ着いたのは夜9時であった。我が山岳会には三山縦走を口にする強者もいるが、私は午後3時まで下りて来られれば良しのプランで、5時10分枝折峠を出発した。
道行山までのアップダウンに悲鳴
駐車場からすぐの板敷にカメラを構える三脚の列にビックリ。滝雲撮影ガイド&注意の看板が2枚もある。カメラの前を横切り明神峠過ぎると、道行山までの木道階段と掘られた赤土の登山道のアップダウンが延々続く。6時35分に道行山分岐を過ぎたが、休憩のベンチがない。2時間近くになり小倉山の3分の2地点でようやくベンチがあり、15分の朝食休憩がとれた。登山途中も休憩の間も10人以上の登山者が抜いていく。小倉山から百草ノ池までのきつい尾根道も、抜いていく奴等が多数いる。百草ノ池からの階段がきつくて、芍薬甘草を1包飲む。水も塩分も十分摂っているいるつもりだが、前駒手前で5分休み、駒ノ小屋手前の岩稜帯で右腿が悲鳴を上げ、10分休む。小屋の風速計が見えるのに登れないのがもどかしい。
山頂で百名山完登の夫婦が
脚を騙し騙し登り、9時8分駒ノ小屋へ着く。15人ほどがくつろいでいるのを尻目に山頂までの最後の113mの尾根に取りつく。9時30分ついに7坪ほどの山頂に着いた。10人ほどがいて、互いにシャッターを押しあっているのに加えてもらった。中ノ岳頂上は雲に隠れているが、八海山は八ツ峰が見える。魚沼の穀倉地帯もきれいだ。枝折峠までの登山道もはっきり見え、良く登ってきたものと感動するとともに、帰りの脚があるか心配になる。そこへ中高年夫婦が百名山達成の布を広げ記念写真を撮ってもらっている。これまで99座達成者は3組4人と出会っているが、百は初めてである。剱岳早月尾根の麓、上市町の人で、20年余りで達成したのだという。頂上にいるすべての人たちの祝福を受け、幸せそうであった。
最後の40分、話し相手に救われる
15分の山頂滞在で下山した。小屋10時、百草ノ池10時40分、小倉山11時12分通過。朝食を食べたベンチの休憩を楽しみに頑張ってきたら、30歳前後の男女10名が占領しているではないか。どうしたって脚を休めなくてはならない。そのうちの一人の女性が「いっぱいいましたか」と尋ねた。黙っていると、「登って来たんでしょ」となお聞いてきた。顎髭の爺に席を譲ろうともしない若者に、立ったまま立腹し、「何人いたかと聞かれれば答えようもある。頂上に20人、小屋に20人、行き会った人15人ほど」と答えてやった。ただし自尊心がなせる業で、追い越された人15人ほどは入っていない。道行山と明神峠の中間地でついにダウン。15分の栄養補給を行っていたら、疲れている様子の女性が追い越していった。脚をマッサージし、下山すると、その女性がしゃがんで水分補給している。「もう40分、がんばりましょう」と声掛けし、先に下りた。まもなく追いつかれ、明神峠から30分、横浜市のその女性と登山の経歴など話し合いながら下りる。鬱々と一人で下りる気がまぎれてよかったと言ってくれて良かった。午後1時25分、枝折峠には路上駐車の列が遥か彼方まて続いていた。