2020年5月、南アルプスの今年度の営業中止が発表された。去年は北アルプスを登り、南アルプスは6月、雨の中、北岳のみにしか登れなかった。今年は南アルプスを中心に登ろうと計画していたのに、あてが外れた。甲斐駒ヶ岳、仙丈ケ岳、鳳凰山山。間ノ岳、塩見岳、荒川三山、赤石岳はぜひともと考えていただけに、山行が1年延びるのは残念である。

山岳写真館の数々

赤石岳の登山口椹島に「南アルプス山岳写真館」がある。2007年にできたもので、数ある白籏史朗さんの写真館としては新しいものである。前泊の際にここの見学を楽しみにしていた。白籏史朗さんは山岳写真家として第一人者で、1933年山梨県大月市に生まれ、2019年11月30日に86歳で亡くなった。18歳の時、写真家岡田紅陽に弟子入りし、5年間の内弟子ののち独立し、紅陽の富士山に対し南アルプスを撮ることをライフワークにした。尾瀬にも興味をもち福島県桧枝岐村に「白籏史朗尾瀬写真美術館」がある。氏の名前のついている写真館の最初は、山梨県早川町の「南アルプス山岳写真館・白籏史朗記念館」である。ちなみに、私が持っている氏の「山岳写真撮影テクニック」(山と渓谷社・1999年刊)の写真は、南アルプスと尾瀬が大部分であるが、鳥海山のものも数点ある。

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早川町奈良田は白峰三山の玄関口

早川町へは八ヶ岳登山の晴れ待ちしていた2018年9月に訪れた。小淵沢ICから高速に上がり六郷ICで下り、県道37号を早川沿いにひたすら北上し奈良田に着いた。駐車場に車をとめ、坂道を上がった先に写真館はあった。10時前だったこともあってか、隣の茶屋に開いているので自由に見てくださいと言われ、照明のスイッチを自分で入れ館内を一周した。見事な作品に圧倒された。2年前の7月、会津駒ケ岳に登った時、尾瀬写真美術館も見学したが、アルプスの山容は別物と感じた。日本第2位の高峰北岳は氏が愛した山である。このとき来年登ると心に誓った。

早川町の南アルプス山岳写真館

町主催の写真コンテストの審査員として

酒田市は2005年11月、旧八幡町など3町と合併して新酒田市となった。白籏さんの父親は、昭和29年に合併発足した八幡町の前身、旧日向(にっこう)村の出身である。白籏さんが子供のころ里帰りしたとき、父とともに鳥海山を見に裏山に登ったことを2018年の講演会の時聞いた。つまり氏の血の半分は八幡のものなのである。そんな縁もあって、私が『八幡の風景コンテスト』の事務を執っていた時、氏に審査員を依頼し、審査していただいた。定規と赤鉛筆で4切写真を容赦なく切り取る姿に驚いた。眠っていた写真が生きるのである。全体を大きく撮って後でトリミングするのではなく、一発でそのカメラでフレーミングするのである。

白根御池小屋からの北岳、晴れたのは下山の日だけであった

鳥海山の作品は宿泊施設鳥海山荘で見られる

白籏さんには、鳥海山の写真を撮っていただいた。八幡町でも白籏写真館を作るための下準備のつもりだったのだろか。市町村合併が進み、その話は立ち消えとなってしまった。『白嶺の金剛夜叉 山岳写真家 白籏史朗』を読むと、白籏さんも八幡に写真館ができるのを楽しみにしておられたようである。白籏さんの作品は、鳥海山の麓の宿、鳥海山荘のロビー、廊下、部屋に展示してある。鳥海山登山の際、あるいは酒田観光の際、ぜひ訪れてほしい。

著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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