那須岳を下山しパスタの昼食を食べて、県道30号、日光北街道を走り、男体山へ向かった。車中泊する場所を決めなくてはと思い、道の駅日光街道に向かった。思っていたのと大いに違う。市街一等地の真ん中にあり、船村徹記念館がある。しかもこの日はイベント中。せっかくなのでさっと見て回ったが、早々に退散した。さて、どこにしようか。来た道を引き返し、散々迷って道の駅湧水の郷しおやに車を寄せた。ガスストーブで調理している大学生に声をかけた。バイクで北日本を旅をして島根に帰る途中だという。9月になったのに就職が決まっていないと聞き、なんだか息子と境遇がダブってしまいかわいそうになった。日光東照宮に寄ろうか迷っているというので、是非見ることを勧め、旅行資金3千円を寄付した。

二荒山神社中宮拝殿

いろは坂を登り、二荒山神社中宮へ

2016年9月17日、土曜日、日光市へもどり、第二いろは坂から中禅寺湖、二荒山神社に向かう。標高差400mのいろは坂は紅葉の名所だが、秋の色づきは9月下旬から始まるので樹々は緑のままである。明智平で景色を眺める余裕もなく、6時過ぎ二荒山神社中宮境内に車を止めた。男体山は日光二荒山神社の境内地で、毎年5月5日から10月25日まで登拝が許されている。神社拝殿に詣でた後、受付所で500円の入山料を払い登山開始したのは6時40分であった。

関東、秩父の山々の先に富士が

石段を登ると急登が始まる

すぐに神社の石段が結構長く続き、一合目から樹林の中の急登をひたすら登る。三合目からは舗装された車道を4つほど曲がり四合目に着いたのは7時30分。登山道入り口の鳥居をくぐり、再び登山道に入る。10分ほど登ると見晴らしのきく所にでて、中禅寺湖が見下ろせた。七合目あたりからはゴーロの道となり、苦労しながら八合目の小さな祠が祀られている滝尾神社で休憩をとったのは8時45分である。

二荒山大神と奥宮のある男体山山頂

完璧に守られた三角点

そこからしばらく登り森林限界を抜けるとガレ場の登山道となる。土砂流下を防ぐ横木を縫うように登ると山頂前の小さな鳥居が目に入る。振り返ると中禅寺湖は小さくなり、その遥か向こうに富士山の頭がかすかに見える。西に目をやれば日光白根山のごつごつした山容が間近だ。奥宮と二荒山大神にお参りし、順番待ちし、岩が集まっている山頂に立ったのは9時45分であった。有名な奥宮の剣は1877年結城市の人が奉納したもので、腐食で取り外されたが、2012年下野市の人が新しく奉納したステンレス製だという。どうりでピカピカしすぎている。岩場のそばにコンクリートと4つの石に固められた三角点を見つける。大理石の周りの土が風化で無くなっているのが大半なのに、こんなに堅牢な三角点は初めて見る。ここでランニングシャツと半ズボン、サンダル履きで手に水筒一つ下げた外国人男性から食べ物を分けてくれと声をかけられたので、餡パンを1個あげた。

男体山山頂の岩場
石に守られた三角点

日光白根山は断念

山頂に30分ほど滞在し、正午に二荒山神社中宮まで下山し、5時間20分の男体山登山が終了した。駐車場の向かいにある川魚料理屋でハンバーグカレーの昼食を食べていたら、山頂で餡パンを上げた男性が入ってきた。つたない英語で聞くと、カナダバンクーバー生まれで仕事は屋根屋で、日本には旅行できているという。昼食後、日光湯本温泉、はなみず樹の湯で汗を流し、戦場ヶ原に戻りくつろぐ。三本松園地で軽食を食べ、木道を散策する。駐車場に戻り、車中泊する。明日は丸沼高原から日光白根山に登るつもりで寝入ったが、2時ころから強い雨が降ってきた。朝になっても降り続き、高原は深い霧。一日晴れないと判断、登山は断念し酒田に帰ることにした。この時はスマホを持ってなかったので、天気予報が分からなかったし、温泉情報も調べられなかった。今は、スマホのありがたみを実感している。

著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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