「津軽」と聞くと、思い浮かべることは人それぞれだと思うが、なぜか郷愁を覚えるのは私だけだろうか。深田久弥は『日本百名山』で、弘前市生まれの石坂洋次郎と金木町生まれの太宰治の二人の地元の小説家を登場させている。また、津軽は演歌の舞台であり、石川さゆり、吉幾三、新沼謙治らがヒット曲を出している。私が初めて弘前を訪れたのは40年くらい前、母がまだ健在なうちで、父と三人で津軽ねぷたを見に来た。家族旅行なぞ縁のない家族であったが、私のブルーバードで一泊旅行であった。あれから30数年、長男が弘前大学に入学した縁で、弘前公園から岩木山を眺めることができた。公園からは頂上部分の三つの山が、漢字の「山」の成り立ちのように見える。この三峰は、左から鳥海山、岩木山、巌鬼山で、私の地元の山鳥海山がここにもあると親しみを覚えたものである。

市街地からみる岩木山、雪渓を登ることになる

桜林公園から登山開始

2012年7月14日、午前8時40分岩木山神社の上にある桜林公園上のスキー場に車を止め、岩木山登山の王道、百沢コースを登った。前日夕方、仕事が終わってから国道7号線を北上し、午後10時前長男のアパートに着いた。長男がカレーを作って歓待してくれたのはうれしかったが、カレーに半割のエリンギが入っていて、キノコ嫌いの私は噛み切るのに往生した。さて、樹林と笹の登山道、鼻こくり、七曲がりを順調に登り、姥石を9時17分、焼止まり避難小屋には10時に着いた。小屋の道を左に折れると、沢沿いの道になり、雪渓が現れた。先日弘前市役所に雪の状態を問い合わせた時にはアイゼンはいらないと聞いていたのに、アイゼンなしでは滑って危ない。軽アイゼンを持ってくればよかった。市役所の情報を鵜呑みにした私がバカだった。

ミチノクコザクラ

山頂では60周年記念のお囃子演奏

滑り落ちないように、踏み抜かないように注意しながら雪渓を登り切り、11時に鳥ノ海に着いた。見上げると階段の右に岩木山への岩場の斜面が望める。鳳鳴ヒュッテまでの登山道にミチノクコザクラが一株咲いていた。岩木山固有種のミチノクコザクラ近似種のハクサンコザクラよりやや大きいという。赤紫色の花に癒されながら、山頂に向けて岩場を登る。急に人が増えてきた。百沢道を私と前後して登ってきた登山者は片手ほどだったのに、八合目のリフトを使い登ってきたおじさん、おばさんたちでいっぱいである。壊れた横木の登り階段道をゆっくり登る。下を見やれば、ぞろぞろと登山者の列、その下に雲海がひろがり、切れ間に麓のリンゴ畑が見える。鐘の下がった三角ケルンがが見えた。11時40分ついに頂上だ。正真正銘、麓から標高差1300mを登ってきたのだ。岩木山神社奥宮前では60周年記念岩木山登山の横断幕を広げ、その後ろに20数名の小学生と思しき子らが笛と鉦でお囃子を奏でている。奥宮にお参りして、12時下山した。

頂上への登りと下りの登山道
岩木山頂上のケルン

帰りはリフトとバスで神社前まで

下りの荒れた登山道を慎重に下りた。鳳鳴ヒュッテの脇を右に逸れ、リフトで八合目に下りた。2018年9月に八合目からの道を往復したのだが、ここは急で枝も張り出している結構な登山道なのだ。八合目のスカイラインターミナル前で10数人の団体が準備体操をしている。バスは4台停まっており、フロントガラスには八幡平、八甲田山、岩木山の三山が書かれている。中高年にはありがたい登山ツアーで、今晩は酸ヶ湯泊りの1泊2日でこの三つを巡るのだろう。バスを乗り継ぎ、午後2時25分に岩木山神社に着いた。津軽国一宮、旧社格は国幣小社で、神社の参道が登山道となっている。順番は逆になってしまったが、一ノ鳥居をくぐり拝殿にお参りする。拝殿左の登山道に入り、スキー場駐車場まで行って午後2時50分、岩木山登山は終了した。

岩木山神社の門
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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