16日午後7時すぎ、藤井聡太七段が渡辺明三冠を破り、初タイトル棋聖位を奪取した。18歳になる3日前のことで、お化屋敷九段の18歳6か月を上回る最年少記録となった。棋聖戦決勝トーナメントでは、元王座斎藤慎太郎八段、元王位菅井竜也八段、元名人佐藤九段、永瀬拓矢二冠を連破して挑戦権を得た。最年少四段、デビュー29連勝、最年少各段昇段などに加え、タイトル最年少記録を着実にものにした実に素晴らしい記録で、日本中が注目していた。王位戦も同時に進行しており、王位を獲れば最年少八段の記録も更新する。詰み将棋5連覇が示すように終盤の強さに比べ、序盤、中盤の指し方はそれほどでもなかったといわれていた。それがコロナの影響で4月、5月対局が中止されていた間、自分を見つめ直し研究を重ね、対局解禁するや大切な棋戦を制し、タイトル初挑戦最年少記録を4日破り、3勝1敗で棋聖位についた。

将棋は相手を、登山は山を研究

将棋は対戦する相手を研究するところから始まる。タイトル戦2局目以降のように先手後手が決まっていれば、より作戦はたてやすくなる。今回の棋聖戦第4局は40手まで渡辺三冠が負けた第2局と同形になった。渡辺三冠が誘導し、藤井七段がそれに応じて、渡辺三冠が研究の成果を示す形になったのだ。王位戦から移動日を挟み連戦となった藤井七段だが、王位戦第2局の負け将棋を粘りで逆転した幸運を味方につけ、中盤から徐々に差を広げ勝ち切った。前例のない形で最前手を見つけられるかが現代の将棋では勝利のカギを握る。それにはAIを使った研究が欠かせないのである。棋士は人である。ミスもする。藤井七段とて負ける。その最も痛い負けはこれまで2番ある。一昨年の順位戦C1組の近藤誠也五段との1敗と、第69期王将戦挑戦者決定リーグ戦の最終局広瀬竜王とのポカによる1敗である。研究していても、実際その場その時、秒読みに急かされるとミスもでるのが、人間というものである。

登山でのミスは命取り

将棋は150人ほどの現役棋士が鎬を削る狭い世界である。全員が才能の持ち主であり、一握りのいわゆる天才が複数回タイトルを獲る世界だ。ミスが出て負けたらまた出直しすればよい。しかし、登山はミスが出ると命にかかわる。装備を持たないミス、場所を確認しないミス、水分、塩分補給をしないミス、天候に対処しないミス、体力を過信するミス、状況判断を誤るミスなどなど、ミスはいたるところに存在する。それが遭難につながり、連絡がつかない場合は死に至ることもある。だから、装備の点検持参、体調管理、体力増進、山の難関場所の確認などを怠ってはならない。2019年の山岳遭難事故は2531件、遭難者は2937人だった。(警察庁6月18日発表)死者行方不明者は299人、そのうち206人が60歳以上だった。遭難者の目的別では「登山」が76%、状態別では「道迷い」が39%、「転倒」、「滑落」がともに17%などとなっている。一方山形県内でも、88人が遭難し、60歳以上は約6割を占めた。うち登山が34人である。その内、「道迷い」は7件8人であった。鳥海山では「滑落」3人、「病気」3人(死亡1人)、「道迷い」2人、「転倒」1人であった。もう1人の死者は朝日連峰での転落事故である。少しの油断が事故につながることを肝に銘じておかなければならない。

五竜岳山頂近く、この霧は更に深くなった

羽根田治氏のドキュメント遭難シリーズ

フリーライターの羽根田治氏は、山岳遭難、事故の取材を行い、ドキュメント山岳遭難シリーズを上梓している。道迷い、単独行、滑落、気象、雪崩などがあり、それぞれ示唆に富んでいて読み手を引き込む。生還者の証言は真に迫り、緊迫した場面には冷静に判断できないものであることを教えてくれる。jROのサイトで「羽根田治の安全登山通信」夏山リスクマネジメントがあり、熱中症、低体温症、高山病、転滑落・転倒、落石、台風、落雷、疾病のリスクを上げて注意を呼び掛けている。遭難事故の多くは自分たちの力量を見誤った判断ミスによって引き起こされている。過信せず、謙虚に山と向き合うことが遭難防ぐことと結んでいる。私も一度道迷いをしたことがある。五竜岳から下山するとき、10名以上の女性パーティーを追い越してから、岩場のマークを見落とし、尾根沿いに下りてしまったのである。ちょっとした崖を目にし道を違えたことに気づいた。尾根を登り返し5、6分戻ったところで、先のパーティーのガイドさんと出会った。そこからマーク通りに下山し、事なきを得た。霧が出ていて、五竜山荘が全く見えなかったこと、疲れていて早く戻りたかったこと、マークを見落としたことが原因として挙げられよう。道迷いは気づいたら戻ることを再認識させられたのである。もっと言えば、歩みの遅い女性パーティーを引き離したかった、スケベ心から発生したものであり、反省しております。

著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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