7月19日は“北壁登攀の日”だそうである。女性登山家今井通子が若山美子と1967年7月19日アルプスのマッターホルン北壁に登った日で、その後アルプス三大北壁の69年アイガー、71年グランドジョラスに女性初で登攀したことで記念日になったようである。三大北壁も今井通子も知っていたが“北壁の日”は初耳であった。42年生まれの今井さんは今もお元気で、テレホン人生相談のパーソナリティをしているので、山に向かう車のラジオで時々声を聴くことがある。

北壁といえば加藤と長谷川

私の青年期、北壁が新聞の見出しを賑わわせていた。稀代のクライマー、加藤保男であり長谷川恒夫らが北壁を征服した記事が新聞に載るのである。加藤保男は、49年生まれで、69年夏期アイガー北壁、72年グランドジョラスとマッターホルンに登攀している。また、長谷川は77年2月マッターホルン、78年アイガー、79年グランドジョラスの北壁を冬期単独登攀している。(世界初) この二人は私にとって、私が成し遂げられないことをいとも簡単にできるスーパーヒーローであこがれだった。そして、あまたのクライマーがより厳しい条件の難しいルートに挑戦し命を落としていくのに、この二人は別格で決して山岳遭難で命を落とすことはないと信じていた。しかし、加藤は82年12月27日、冬のエベレストに登頂の連絡をした後消息を絶った。また、長谷川も91年うるたるⅡ峰で雪崩に遭い遭難死した。このことが私の中で、山はどんな達人でも条件がそろえば命にかかわるものであると、ある種のトラウマとなったのかもしれない。だから、夏のトレッキングでも万全を期すようにしているのである。

一の倉沢、衝立岩

谷川岳、一の倉沢を拝む

2015年10月17日午後1時45分、私たちは谷川土合口駅から電気バスに乗り一の倉沢出合に降り立った。一の倉沢といえばだれもが知っているクライマーの聖地で世界の岩壁に挑戦する前のトレーニングの場所でもある。長谷川、加藤も簡単なルートから難しいルートへ、未踏のルート、岩壁を開拓していったに違いない。一の倉沢は標高差約800mの大岩壁で、日本三大岩場のひとつである。谷川岳は、1931年から2012年まで805名もの死者が出ている“世界の山ワースト記録”を持っているが、大半はここでのクライミング中のものである。車道から岩壁を遠望するだけであったが、山頂部が雲に隠れているためどこまでも続く険しい岩壁に見えた。岩壁に圧倒され、帰りは歩いて戻った。マガチ沢の道路わきの岩場に何十枚ものレリーフが埋め込まれている。大半が20代で命を落とした人の親が子の魂を鎮めるために取り付けたものだろう。黙とうしながらここを離れた。溜息ばかりでいられない。さあ、明日はロープウェイを使って谷川岳に登る。晴天を祈る。

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著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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