2018年までに深田久弥百名山のうち40座をに登った。65歳を終えるまでに4分の3ほどは登りたいと考えていたので、19年と20年で35座に登る計算になる。いくらかでも体力があるうちに、岩稜の山を登るということで、19年は剱岳と槍ヶ岳、穂高岳を目標にしていた。「体力があるうちならば、もっと若いうちに登れば」と思うだろうが、慎重居士の私は雑誌で技術の必要な山とあるのを見ると、どうしても尻込みしていたのである。
7月22日、剣山荘、劔御前小舎に予約する
2019年は、5月に中国、四国、紀伊の5座、6月に甲府の4座、北岳、越後南部の2座の計12座を登り、順調なスタートを切った。剱岳はI氏と一緒に行こうと約束していたのだが、I氏の休みと天気が一致しない。7月23日から3日ほどいい天気の予報がでている。これを逃してはならない。山小屋に電話を入れたら泊まれるという。I氏に内緒で23日の午後4時、家をでた。そして24日早朝雄山神社芦峅中宮に詣でたのち、ケーブルカーとバスを乗り継いで10時に立山室堂に着いた。
1日目は室堂から剣山荘まで3時間10分
室堂から見る立山は山頂部が雲に隠れていたが、剱岳、別山方向は晴れていた。ミクリガ池、雷鳥坂を通って別山乗越へ、斜面に残る残雪を踏みしめ剣山荘に着いたのは13時40分であった。念願の剱岳に明日登れる。天気もよさそうだ。ヘルメット、スリング、カラビナも持ってきた。明朝5時の朝食を予約して、早々と眠りについた。
2日目、25日8時5分ついに剱岳に登頂
ほかの登山者より遅い5時45分剣山荘を出発。一服劔を過ぎ、前劔からは番号の書いてあるプレートに従い登る。平蔵の頭から平蔵のコルまで岩稜のトラバースが続くが、鎖があるので平気だ。時間帯がいいのか、邪魔になる登山者はおらず順調に進む。カニのたてばいも鉄杭と岩をつかめば、鎖はいらない。たてばいを登り山頂まで4、5分歩いた。8時5分、ついに憧れの劔岳頂上に着いた。映画『点の記』の三角点に触れた。富山湾、白馬岳から鹿島槍ヶ岳の後立山、立山、槍ヶ岳から乗鞍岳の北アルプス、薬師岳が一望だ。来てよかった。20分ほど山頂を楽しんで下山した。カニのよこばいは前の登山者がツアー客のため15分余り停滞した。前劔からはストックを1本使い、ガレ場で転ばないように気を付けて下山。10時33分剣山荘に着いた。5時間の至福の時であった。
ビックリ仰天! I氏と山小屋で出会う
昼食を食べながら、I氏に黙ってきてしまったことを後悔した。一緒に行けないまでも、行ってくるよとメールを入れるべきだったかと反省した。正午過ぎ、今夜の宿、劔御前小舎に向かおうと玄関から外にでて、靴紐を結び何気に顔を上げたら、八幡山岳会と書かれた臙脂のТシャツが目に映った。I氏である。二人ともびっくり仰天。24日深夜に酒田を出て、今朝一番のバスで登ってきたという。こんなことがあろうか。あれほど一緒にと約束してた二人なのに、彼は天気の誘惑に勝てず仕事をほったらかしにして来たのだ。
3日目、別山、大汝山、雄山をトレッキング
26日5時50分、山小舎に仲良くなった2人と別山に向かい、北峰から剱岳の雄姿を眺めた。別山尾根から山頂、八ツ峰が薄い雲間に堂々と聳えている。感動がよみがえる。真砂岳あたりからそれぞれのペースとなり、二人とは別れた。大汝山8時15分、雄山8時32分。ガスが出たきた。午後から天気が崩れそうだと、他の登山者が言っている。20分休憩後、浄土山はあきらめ、一ノ越から室堂に下りた。3日間の行動時間13時間25分の山行は無事に終わった。帰りは称名滝を観光して、午後10時家に着いた。
I氏は、26日4時で出発し、剱岳登頂後、剣山荘で劔御前小舎をキャンセル、その日のうちに別山、雄山を登り午後4時室堂に着いたという。すごい体力である。これとは別に、山岳会の仲間3人が26日から27日、霧のなか立山登山をしたという。