8月18日から3日連続晴れの日が続いて、絶好の登山日和が続いている。私は、この天気の良い日に尾根沿いを登るには暑いので、林の中の登山道の下刈りに2回出た。水のはけない登山道は泥田が乾ききらず、深い足形をこしらえる。これは、17日はまるっと20時間雨が降り続いたことによるもので、荒木沢の累積雨量は204㎜/24hと山形県で一番を記録した。4.5K㎞南の大台野で85㎜/24hなので、2.5倍の雨が鳥海山に集中したことになる。

連続した山岳遭難

先にも書いたが、8月11日発生した道迷い遭難の新庄市の男性の捜索は未発見のまま終了した。御浜から、万助小屋から捜索隊が何人も出たが結局手掛かりを見つけられず断念したようである。新庄市の男性を捜索していた13日午前10時30分ころ、下山中に道に迷ったと110番通報があった福島市の人は、午後3時過ぎ県消防防災へり「もがみ」がピックアップした。鳥海山では珍しい連続遭難であった。13日の天候は、麓では曇りから晴れに変わったものの、山頂付近は雲に覆われていたと思うのだが、一瞬の晴れ間で発見されたものと思う。たぶん携帯電話の通話も可能で、遭難位置が絞りやすかったのではなかったろうか。驚いたことに、11日の捜索を断念した矢先、3件目の遭難が発生した。

河原宿から見上げる鳥海山外輪

道迷いからの滑落遭難

3件目の遭難は16日に発生した。午後4時25分、自宅前を消防指令車がサイレンを鳴らし上って行った。消防テレサービスを聞くと、「升田字大台野で発生した救助要請」とのアナウンスである。また、山岳遭難だろうか。この時間山頂近くだと、明日の捜索かと頭をよぎる。この遭難は、湯ノ台口から頂上へ登り、下山途中の鳥海山の外輪、行者岳から伏拝岳に下りる際、何本にも見える登山道の下のほうを歩き、ガレ場の道を滑ったため、午後3時半ころ救助要請したと聞いている。今年は新型コロナの影響で、山頂の御室小屋と中腹の御浜小屋は宿泊営業を停止している。したがって、鳥海山へはどこのコースから登っても日帰りになる。ということは、自分の体力とコースタイムを比較して、ゆとりをもって下山することを考え、スタート時間を決める必要があるのだ。

新山、御室小屋へ下るガレ場

午前10時登山開始、頂上往復は無理筋

遭難者は、横浜市の男性、〇〇さんであると後で聞いて、思い当たることがあった。10時に車道終点駐車場トイレの前でストレッチをしている男性がいた。河原宿辺りまでの登山だなと思い、先行して登った。滝ノ小屋脇で砂利あげ作業をしていたところ、「この道でいいんですか」と声をかけられた。ここらで道を聞かれたのは初めてである。「どこに行くんですか」と尋ねたら「山頂まで」というではないか。「えっ、10時半ですよ。山頂までは足の速い人で6時間かかりますよ」と暗に山頂登山を戒めたら、「途中行けるとこまで行きます」という。気を付けて言いつつ「心配だな、名前を聞いておこうかな」と言ったら「横浜市の〇〇です」と答えた。確かに横浜ナンバーが1台あった。一人の女性と連れだっての登山だった。3時半ころの要救だとすれば、登山ペースとしては普通といえよう。事故なく下りるとすれば、午後6時半には下りられるペースである。したがって日暮れぎりぎり間に合う。しかし、登山の常識としては、無理筋である。

山形県警ヘリ「がっさん」

ヘリが飛ばせたから救助できた

湯ノ台コースの標準タイムは、登り4時間10分、下り3時間10分である。休憩は別として合計7時間20分は、割とハードである。午後3時半の要救は正しい判断といえるかと問えば正しいといえる。日没前の一瞬のうちヘリで救助されたのだから、正しかったと言えよう。天候が思わしくなかったら、どうだったか。どれくらいのケガだったかわからないが、ヘリが飛ばない、救助隊編成するには2時間かかり、それから出発してと考えると、その日の救助は行わないのが普通である。とすれば、警察は11日の遭難のように「その場で待機」を命ずるであろう。鳥海山外輪での待機、考えただけでもぞっとする。寒さ対策はどれだけ準備していたのだろうか。記憶では30リットルほどのザックだったような。ヘッドランプは、ダウンは、ツェルトは・・・。さらに思うことは、けがが足の骨折でなかったとしたら、待機を指示されたら、気力を振り絞っていくらかでも下山したいところだ。生死の境は気力にあるともいえる。(追伸 女性は先に下山し、車の中だったという。メデタシメデタシ)

著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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