9月1日に姫神山、9月7日に焼石岳に登り足慣らしし、1週間後に長野か山梨の山に登りたいと考えていた。仙丈ケ岳と甲斐駒ヶ岳の2座は今の体力ではハードルが高いと考え、青木鉱泉から6時間、鳳凰小屋に1泊し鳳凰三山を周回して6時間半、青木鉱泉に下山する日程を組んだ。9月12日、日曜日の小屋の予約が取れたので、マスク、消毒液、シーツカバーのコロナ対策をし、韮崎に向け出発したのは9月11日の正午である。高速道路は出来るだけゆっくり走り、SAで休憩を多くとることを心掛け、姥捨SAで夕食をとったのは午後7時である。今夜の車中泊地が思案のしどころで、諏訪SAは一晩中賑わうと予想し、原PA出口付近に1台分のスペースを見つけられたので今宵の宿とした。
翌朝、ヤマザキのコンビニで朝飯と昼飯を買い、午前5時に原SA を出発した。諏訪南ICで降りたときの高速料金は深夜割引が適用されて5470円、差額分の2300円で土産を買えるとほくそ笑んだ。一般道では麓からの鳳凰山を撮影しながら、国道20号を外れ青木鉱泉への林道に入る。崩落工事中の林道を12㎞進んで、登山口の青木鉱泉駐車場に着いたのは、6時20分である。
ジグザグ道手前で杣道に入り迷う
上の駐車場は私の車で満車になった。男女4人が賑やかに登山準備しているのを横目に、パッキングしているリュックを最終チェックしたが、国土地理院の地形図が見当たらない。きっちり準備したのに家に忘れてしまったようで(帰宅後、置いていったシャツの下から発見)、昭文社の登山地図のみでの登山となる。青木鉱泉の登山ポストに登山届を入れ、ドンドコ沢コースを出発したのは6時50分である。樹林帯の道を沢沿いに進み、護岸工事中のため迂回ルートを通りドンドコ沢の左岸に戻。1時間ほどでジグザグ道を登るのだが、ジグザク道の入り口で青木鉱泉から通ずる尾根道に入ってしまったらしい。おかしいと思いながら200m近く踏み後の乏しい山道を上り、1時間40ほどさまよいジグザグ道に戻ったのは9時10分であった。ジクザク道を30分で登り切りほっとし10分の休憩をとる。南精進ヶ滝分岐に着いたのは10時20分で、コースタイム2時間30分のところを3時間30分かかったことになる。全く何をやっているんだか。アミノバイタルを1包飲む。
疲労困憊もオベリスクで元気に
予定では南精進ヶ滝、鳳凰ノ滝、白糸ノ滝、五色ノ滝をカメラに収める計画だったが、無駄な体力を使ったためそれは諦めることにして、南精進ヶ滝展望台をパスし標高を上げることにした。1本ストックを左右に持ち替え、一方の手で岩や木の根をつかみながら急登を登る。鳳凰ノ滝と白糸ノ滝の中間点で女性登山者が休憩していたので、私もおにぎり休憩をとる。白糸ノ滝通過は12時10分、五色ノ滝の標識に着いたのは12時50分である。脚が疲れてはいたが最後の滝なので見ていくことにする。滝つぼまでは下りず、中間点から撮影することで良しとした。戻ると親子連れが登ってきた。最後の滝なので見たほうが良いと勧め、彼らが戻ってくるまで休憩する。
鳳凰小屋までは樹林帯の白ザレ場の道からドンドコ沢沿い河原に出て登ること1時間であるが、登山開始から6時間、疲れきって脚が上がらない。それでも13時50分、河原から地蔵岳のオベリスクを見上げた時は感動した。先ほどの親子が追い付いてきてからは元気を出して沢沿いの花崗岩の砂地を登り、午後2時15分ようやく鳳凰小屋に着いた。この親子は9時出発と後で聞いた。
フリースを忘れたことを悔やむ
鳳凰小屋には男性と白糸ノ滝付近で出会った女性がベンチに座っていた。親子連れに続いてチェックインして、リュックを置きに小屋に入った。指定された寝床の脇には若い男性が寛いでいる。電気が着いていないので、持参した新書本を持って外に出た。先の女性も読書中である。標高2400mの日陰の小屋は寒い。三川のユニクロで買った薄いジャケットを羽織ったが寒い。更にダウンベストとウインドブレーカを着こみ1時間ほどベンチで佇むが、フリースを置いてきたことを悔やむ。1時間半ほど寝床で横になり、5時、自家発電機が回り、1階の食堂に案内される。今日の登山客は、中年夫婦と中年女性の2人が加わり10人である。鳳凰小屋名物のカレーをお代わりする。食後は、掘りごたつでスタッフや登山客と小屋の由来などを聞き、温まってから換気のため窓を開けた寝床に入った。