翌9月13日、5時半から朝食をとったのは6人。女性二人連れと男性2人は弁当持ちで先に出発している。6時10分、地蔵岳に向かいシラベの樹林帯を進む。20分も登ると花崗岩の白砂の道となり、オベリスクが間近に迫ると子授け地蔵が安置された賽ノ河原に着いた。7時の地蔵岳は風が強くウインドブレーカを羽織る。これを撮るために1㎏の三脚を2000円で買い求め背負ってきたのだ。ニコンのCOOLPIX B700を据付け、何枚もアングルを変え撮ること30分。赤抜沢ノ頭でも10分ほど撮影タイムをとる。地蔵岳の左にどっしりと聳える甲斐駒ヶ岳が美しい。北から南まで八ヶ岳が縦に見えるのも新鮮だ。北岳、間ノ岳、農鳥岳と続く白嶺三山もズシリと鎮座している。一昨年6月の北岳は雪が降って、間ノ岳には行けず、小太郎尾根分岐からの鳳凰三山もシルエットでしかなかったことを思うと、2750mから見上げる3100m級の白嶺三山の存在は圧倒的である。体力に一抹の不安があっての登山であったが、この風景を観れたことは感慨深い。
観音ヶ岳までの岩稜を行く
地蔵岳と赤抜沢ノ頭で撮影に時間をとられ、親子連れとはだいぶ離れてしまった。鳳凰三山の最高峰観音ヶ岳へは南に延びる露岩の尾根をアップダウンする。脚に疲労はあるものの、疲れたら休み、右手に聳える白嶺三山を眺めればよい。100m下って50m登り返すと鳳凰小屋からの分岐だ。ここから140m白い岩稜を四肢を使い登り、岩の積み重なる観音ヶ岳に着いたのは9時20分だった。頂上の岩場の西側で女性二人連れの会話が賑やかである。三脚の準備が整うと、一人、また一人と女性が下りてきて、私の証拠写真のシャッターを押すことが出来ない。頂上の岩場に立ち、カメラとスマホの両方で360度動画を撮った。スマホの動画は下山後山岳会のグルーブLINEに上げたが、反応がなかったのが悔しい。薬師岳越しの富士山も美しい。観音ヶ岳からは緩やかな稜線をのんびり薬師岳に向けて漫歩する。
中道コースを下山する
10時20分、白嶺三山、それに連なる塩見岳以南の山々、そして富士山とお別れして、青木鉱泉までの下山路、中道コースに入る。岩稜の入り口でストックを小次郎挿しにした70代と思しき高齢者とすれ違う。今10時25分、中道コースの標準タイムは4時間20分なので、5時出発ならピッタリか。そういえば観音ヶ岳を登るところで若い男性に「夜叉神峠からですか」と聞いたら「中道を登ってきました」と言っていた。こっちのコースが優しいのかしら。ハイマツ帯の道に花崗岩が点在する道を下りやがてシラビソの林に入り御座石まで45分かかった。給水タイムをとり、行動時間1時間半をめどにダケカンバの林を下ること40分、緩斜面に最前の女性が休んでいたのでフィジカルディスタンスを取り御供することに。20分間四方山話を交わしつつ、最後の菓子パンを胃袋に収め、整備されたカラマツ林の道を高度を下げていく。急斜面は九十九折になっており、横倒しになったカラマツを幾度も跨ぎながら膝痛に耐え、午後1時10分に中道登山口の林道に出た。林道に出て抜きつ抜かれつした親子も追いつき、青木鉱泉へはドンドコ沢を渡渉して午後2時に着いた。
蔦木宿の湯が腿に沁みる
親子連れは東京都目黒の在で少年の名はユウキ、小学2年。鳳凰山で100座目の山行とのことである。単独登山の女性は神奈川県大和市の在で普段は家族と登るのだが、今回は単独での登山とのこと。いずれも首都圏から車で来て、車で帰る、1泊2日の山行である。東京からは中央道を使えば2、3時間で登山口に着くので便利この上ない。山形県酒田市から前日昼に出てきたことを話すと、東北の山の遠いことを実感したようだった。東京から東北へは前泊しないと登れない。鳥海山湯の台口に来る登山者も月山あるいは朝日岳と抱き合わせで来る人が多い。
汗を流すためにいつもの温泉になった道の駅「蔦木宿」に行く。JAF割引で暖簾をくぐり湯に浸かる。10×20㎝ほどの左腿裏の擦過傷が湯に沁みて痛い。傷の大きさを見るのが恐ろしくて、確認しないようにしていたが血も出ている。湯から上がってタオルでそっと抑え、手当をせずにスエットパンツをはいた。帰路は諏訪大社下社秋宮、同春宮を参拝して、北陸道の黒崎SAで一泊し、翌9月14日の6時過ぎに家に着いた。