「2020年は百名山20座を登り、仕上げ」を目標としていたが、新型コロナウィルスの流行で日本山岳会が登山の自粛、山小屋は閉鎖あるいは営業期間、人数を縮小するところが相次ぎ、5月の時点で20座は達成できないとあきらめざるをえなかった。そんな鬱々とした日々が6月、7月と続き、まもなく8月も終わろうかというとき、山岳会の仲間たちはあちこちの山行をLINEに上げだした。なんだか尻がむず痒くなってきたので、8月最後の週末、遠方山行したいと妻に告げた。どこにしようか。御岳、恵那山の2座駆け、越後駒ケ岳、あるいは薬師岳か。薬師岳山荘に予約の電話を入れたらOKだったので、30、31日登山の日程で折立から太郎平をへて薬師岳1泊2日の登山へ出発したのは、8月29日午前10時のことだった。
有峰林道小見線を折立登山口へ
酒田から新潟へ、新潟から北陸道を通るのは何度目になるかしら。上越から西に行くのは、16年の白山、18年の荒島岳、伊吹山、19年5月の中国、四国の山、そして同年7月の立山、剱岳以来のことになる。立山ICから立山街道を有峰口から有峰林道小見線に入り、22キロ上がると黒部源流域の登山口の一つ、折立登山口に着く。深田久弥は、大学一年の時、有峰の手前の千垣で一泊して、和田川に沿って登り飛騨国境に近い薬師岳の登山口の有峰と呼ぶ村があったが廃村になっていた、と書いている。今その廃村は有峰ダムの底に沈み、ビジターセンターができ、さらに上に折立登山口がある。私が亀谷トンネルの有料ゲートで1900円を払い、折立に着いたのは午後6時のことだった。ゲートのおじさんから、23日にクマによる車上荒らしがあったので、キャンプ場は閉鎖している。車で寝てくれ、と言われた。人慣れしたクマほど恐ろしいものはない。
太郎平小屋で登山届出す訳は
登山届を出そうと思い折立ヒュッテをのぞいたところ、「登山届は太郎平小屋で出してくれ」と案内があった。用紙もない。ほとんどの山は、駐車場の登山口で書いて出すものだが、不思議な所だ。しかし、太郎平に着いてはたと気づいた。太郎平こそが3方向への真の登山口なのである。一つは、薬師岳往復で登る者、薬師岳から五色ヶ原をとおり立山に縦走する者。二つは、薬師沢へ下り、雲ノ平へ遊ぶ者、三つは、来北ノ俣岳から黒部五郎岳、さらにその先へ縦走する者の分岐点なのである。折立から5時間かかる太郎平に着いてから、天候によってはコース変更が十二分に考えられるので、ここで体調と天気とにらめっこして登山届を出すのが正解なのである。
急登が終わると高原の登山道へ
8月30日午前5時45分、折立登山口を出発。すぐ急登が始まる。三角点まで1940mの道のりを520m標高を上げる。平均斜度15度、これは結構きつい。標準タイム2時間のジクザク道は、木の根があらわなところや、木材で補強されているところがある。丸太をステップ利用している所もある。6時35分、アラレちゃんで休憩している男性3人組に出会う。7時5分、1870三角点で朝食のサンドウィッチを食べるため25分休憩をとる。三角点を過ぎると道は木道になり、やがて石を敷き詰めた、いや敷き詰めた石が荒れた道になった。ブルーシートに包まれた物資が置かれてある。登山道整備中であるらしいが、朝早いし、日曜日なので今日の作業は休みであろう。ベンチが3,4か所飛び飛びに置かれてあるため、五光岩ベンチがわからないまま、太郎平ので1.0kの三現太まで来てしまった。ここまで来ると左前方に薬師岳がどっしりと望める。3人のトレラン姿の若者が超特急で追い越していく。高原の稜線の果てに太郎平小屋が見えた気がして、元気が出る。9時23分、小屋の屋根がはっきりと見える。もうすぐ休憩を取れる。9時30分、太郎平小屋に到着した。ここまでで、塩タブレット4個、餡モチ1個、山崎のランチパック1個を食べている。(後編へ続く)