深田久弥『日本百名山 62 霧ヶ峰』の冒頭に「山には、登る山と遊ぶ山がある。(中略)後者は、歌でも歌いながら気ままに歩く。(中略)霧ヶ峰はその代表的なものの一つである。」とある。2018年9月14日、蓼科山下山後大門峠からビーナスラインに入り、車山肩に向かった。白樺湖からの道は等高線に沿って高度を上げる快適な道で、方向によっては霧に覆われた山頂部が見えた。チャプリンと書かれたレストハウス駐車場に着くと7分で靴を履き替え、11時30分霧ヶ峰の最高峰車山に出発した。ころぼっくるひゅって手前から右に入り、薄い霧の中車山までの広い道をゆっくりと登っていく。まもなく道は細くなり、振り返ると駐車場までは見えるがその先は霧の中である。濃くなる霧の中に気象レーダードームの四角い建物が姿を現す。車山の標柱と三角点、方向盤があるが、圧巻は隣の建物である。さっきは霧で見えなかったが、2階建てのコンクリートの上に白く丸いレーダードームが乗っている。
御柱と車山神社
少し進むと鳥居と岩の小山に4本の柱が立ち、その中に小さな鳥居のある2m四方の柵に囲まれた石造りの祠が祀られている車山神社があった。右の節くれ立った柱には「車山神社一之御柱」の木札が縛り付けられており、左の柱には二之御柱とある。後ろは三、四であろう。車山山頂部は東は茅野市、西は諏訪市であり、諏訪湖は10㎞と離れていない。説明板に謂れが書かれていた。諏訪大社の「式年造営御柱大祭」は寅と申の年に行われるが、そのあと諏訪地方の各神社でも同様に御柱を立てるのだとある。15分ほど滞在してから、少しでも高原気分を味わおうと車山乗越に下りて行った。ここから蝶々深山に進めば八島ヶ原湿原の周遊となるのだが、それだと4時間はかかってしまう。この後美ヶ原に行きたいので、壊れかけた木道をころぽっくるひゅってに上がることにした。12時50分駐車場に着き、土産を買いパンと牛乳で腹を満たし、午後1時10分、ビーナスラインを和田峠を目指し出発した。
今も残る旧中山道から美ヶ原へ
ビーナイスラインを北上し和田峠で国道142号交差するあたりであっただろう。車道の斜面に中山道と書かれた小さな青い標識をいくつか目にする。車道の上と下にある9尺ほどの幅の石畳の道が旧中山道であった。中山道は板橋宿を始めに67の宿場が置かれており、和田宿と下諏訪宿の間の道、難所和田峠越えが現在見ている街道なのだ。さて、標高約2000mにある美ヶ原高原は、1000haもの大草原が広がる溶岩台地である。元禄時代から放牧場として利用されたここは、松本市と上田市それに長和町の境に位置し、西端の最高峰王ヶ頭には電波塔が建ち並ぶ。午後2時前に山本小屋ふる里館前に着いた。やたらと大きい水たまりの道を霧の中、美しの塔を目印にし出発する。10分ほどで美ヶ原の整備に尽力した山本俊一翁の顔のレリーフが埋め込まれている美しの塔に着く。濃霧による遭難対策として霧鐘を備えた塔で美ヶ原のシンボルとなっている。
散策路をたどり最高地点王ヶ頭へ
さらに5分ほどで塩くれ場の分岐にさしかかると、牧夫が牛に塩を与えているところであった。本当なら左のアルプス展望コースを進みたいのだが、霧で全く展望がきかない。しかたなく草原内の散策道路を進みたいのだが、案内図を見ると展望コースが表示されていないため、どれが牧場内の散策道なのかわからない。あいにく人通りもないので大きい道を進むことにする。バスとすれ違い王ヶ頭に行けると確信した。少し傾斜の道を登ると午後2時40分過ぎ、2枚目の美ヶ原の看板の向こうに鉄塔が見える。王ヶ頭ホテルの北側を回り込んで鳥居をくぐり、王ヶ頭の石碑に到着したのは47分であった。霧の中三脚を出して記念写真を撮る。10分ほど待ってみたが西の空から霧が上がってくるばかりで、北アルプスの展望は望めそうにない。3時前に下山というよりは、来た道を引き返すことにし、ふる里館駐車場へは35分に着いたら、皮肉なものでいくらか展望が開けてきた。帰りは下諏訪に下り、国道20号を南下し金鶏の湯に入り、道の駅信州蔦木宿に草鞋を脱ぐことにした。