日本中が歓喜に沸く朝を迎えているのを知らず、私たちは、越の中山、越後富士と称される妙高山に向け、新潟のアパートを5時に出発した。ラジオも付けずにいたため、『ブライトンの軌跡』を知らなかった。英国時間の9月19日夜、ラグビーワールドカップ2016、プールB、日本対南アフリカ戦は、大方の予想を覆し34-32で日本が勝利した。ボールを使う競技で、ラグビーは最も番狂わせの少ない競技だ。世界第3位の南アフリカに善戦してくれればとブライトン・コミュニティスタジアムに来た人々、日本で応援している人々は、83分56秒に、立川、アマナキとつないだパスがカーン・ヘスケスにわたった時『飛び込め!』と叫び、逆転勝利に歓喜した。
なぜか越後富士があこがれだった
全国に〇〇富士といわれる山は数多い。その中でも理由はわからないが、私の中で越後富士・妙高山は絶対登りたい山第2位であった。新潟を代表する山だからなのか、特に惚れた訳でもないのに、単にミョウコウという響きがいいからなのか憧れの山なのである。私は新潟に住んでいる次男の所に、リュック二つを持ち前日入りしていた。5時新潟市内を発し、7時30分妙高高原スカイケーブル駅に着いた。8時20分、霧の中山頂駅から登山開始。ゲレンデ斜面を登り新赤倉新道を進むとリンドウが咲いていた。大谷ヒュッテで登山道に入り、天狗岩到着が9時50分、コースの半分ということで、他の人と同様に休憩した。途中鎖場を難なく登り、妙高山の外輪に着いたときは天気は晴れだが、外輪の外は雲が厚く周りの山々はかすかに顔を出す程度で、火打山はもとより黒姫山も見えなかった。妙高大神で記念撮影し、北峰に着いたのは11時25分である。息子との登山は、小学生5年以来13年ぶりであった。次々と登山者が登ってくる。散在している巨岩の傍らで早々にカップラーメンを食べ、12時に下山を開始した。
火打山と縦走したかったが
私の中で当初の計画は、1日目妙高山に登り黒沢池ヒュッテに泊まり、2日目火打山に登り笹ヶ峰に下りるものだった。しかし、次男はアトピー体質なので、汗のまま寝ると翌日ひどいことになる。それと車の回送もばかにならない。そこで、一日一山、来た道を戻ることにしたのだ。風穴を13時05分通過し、雨に濡れたゲレンデの草のなかを疲れた足で這う這うの体で下り、山頂駅に着いたのは14時40分になっていた。宿に入るには早すぎるので、野尻湖畔にあるナウマン象博物館に寄った。ナウマン象の実物大模型とオオツノジカの復元像が見ものの博物館であった。今夜の宿は、池の平温泉にあるロッジコクハである。登山客もいたが地元の人もいた感じがした。夕食後、大半の客がバスに乗って出かける。後で知ったのだが、上越妙高イルミネーションを見に行ったのであった。私たちは、明日も早起き山登り。部屋に戻り、テレビで南アフリカ戦勝利を知り、祝杯を挙げた。