山も岳も付いていない山、東京からアクセスしやすい山として人気なのが大菩薩嶺である。富士山から南アルプスの眺望がすばらしく上白川ダム(大菩薩)湖がアクセントなのもまたいい。私などは大菩薩と聞くと、長編小説「大菩薩峠」を真っ先に思い浮かべる。50代以下の人はというより、年齢問わず文学に興味のない人は中山介山、who?となるのだろう。「大菩薩峠」の作者なのだが、なにせ今から100年以上前に書き始め、28年間も連載し、作者の死とともに未完に終わった小説など、漱石や鴎外と違い知っているほうがおかしいのだろう。ではなぜ知っているかというと、片岡千恵蔵主演の映画で知ったのである。主人公は机竜之介といい、極悪非道の剣士。机という名字に興味を持ったのである。調べてみると、日本に約500人いて、青梅市に100人ほどいて、山梨県に10人ほどいるということである。大菩薩嶺は明治の初めに柳沢峠が開削されるまで青梅街道の峠だったところであることから、山梨県の机姓は青梅からの移住者であろうかと想像してしまう。甲府市を走っていたときだったかはっきりしないのだが、机〇〇氏の看板を見た時、やっぱりいるんだと思った。

上日川峠にあるロッヂ長兵衛

上日川峠から大菩薩峠の道は街道

6月13日、金峰山を下山し大弛峠を10時20分出発。大菩薩嶺の登山口までは塩山へ下りて、国道411号青梅街道、大菩薩ラインを登り返すと上萩原に着く。ここから細い山道をくねくねと進み、登山口の上白川峠のロッヂ長兵衛に12時15分に着いた。登山靴を履いたままだったので、リュックを担ぎ12時半前に車道と並行する風通しのいい雑木林の登山道を登る。福ちゃん荘から大菩薩峠への山道をたどるのだが、その登山道はほかのに比べると幅広くできており、街道であったことを偲ばせてくれる。登山道を行き交う人たちの服装、リュックもハイキング気分で、トレッキングポールを持ってはいるが使い方がぎこちない人もいる。標高差約300mのトラバース道をたどり午後1時20分、介山荘と茶店のある大菩薩峠に着いた。

大菩薩峠の介山荘と茶店

草原の先に大菩薩嶺が

金峰山からの運転中、パンをパクつきながら来たのだが、ここから頂上まではコースタイムで1時間なので、昼食休憩をとることにした。登山者は女性が7割といったところか。天気も薄曇りで絶好の登山日和である。10分休憩し大菩薩峠賽ノ河原へ登り始めると10分足らずで大菩薩嶺の全容が現れた。草原の斜面が山頂まで続き、北東側は樹木が茂っている。少し下り、草原の間の稜線を登った先の頂が岩が積み上がったような雷岩になる。天気が良ければ富士山が真南に見え、その右に甲斐駒ヶ岳から間ノ岳までの南アルプスが遠望できるのだが、残念なことに2500mあたりから上は雲の中である。そこから樹林を10分足らず進むと大菩薩嶺と書かれた標柱が2本立つ頂上になる。三角点が底石も露わかと思うほどむき出しになっているのは、40㎝は浸食したものと推察する。三脚を出さずに片手で証拠写真を撮る。下山は雷岩から唐松尾根を下った。途中根っこにつまずき転倒してしまったが、50分で下山することができた。

大菩薩嶺といえば峠からのこの眺め

アイスを食べ、風呂に入る

リュックを車に入れ、ロッヂ長兵衛でアイスを注文し外のテーブルで食べる。今日という日は朝4時40分から午後3時過ぎまで慌ただしかったと一日を思い起こしながらアイスを舐める。帰りは大菩薩の湯に入ることにする。駐車場から結構な階段を疲れた足奮い立たせ、立派な門をくぐり施設に入る。高アルカリ性温泉は疲れを取ってくれるので、私としては50分の長い滞在となった。甲府市に入り餃子とラーメンの夕食をとる。途中、スポーツデポに入り、夕食と朝食弁当入れにする手ごろな大きさの保冷ケースを買った。明日は長野県側から甲武信ヶ岳に登る予定である。コンビニで弁当と凍ったドリンクを買い、国道141号沿いの道の駅南きよさとの駐車場に着いたのは夜8時を回っていた。

山頂の標識と三角点
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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