前日妙高山に登り、南アフリカに勝利した日本ラグビーに励まされ、6時で宿を出た。登山口の笹ヶ峰へは池の平から妙高山の南麓の山道を登っていく。杉ノ原スキー場のところで親子のサルが5頭いた。車が通っても逃げようとしない。7時前、駐車場は車であふれている。4連休のお彼岸前の月曜日、この時間で空いているとは思わなかったが、さてどこへ止めようか。少し戻り、道端にスペースを見つけ、何とかバックで車を入れた。

笹ヶ峰の登山口
ブナの木漏れ日の中、小径を登山開始

小屋のような門をくぐり、登山開始

7時15分、笹ヶ峰の名物?小屋のような門をくぐり登山を開始した。朝、少し湿り気のあるブナの小径をゆっくりと進む。木道も緩やかでいい。8時前、黒沢橋に出た。数人が水分補給でリュックを下ろし休憩している。私たちも十二曲りに備えて一服しよう。約200mの標高を12回曲がって尾根道に出るのだ。木の根の階段を登り始める。3/12、5/12と標高を上げるのが気持ちいい。30分ほどで十二曲りは終わり、9時30分富士見平分岐に出た。富士見平は黒沢池、妙高山への分岐で立派な看板も設置されている。若い女性のグループが談笑している。少しの休みで高谷池まで緩やかな山道を進む。9時50分、正面にひときわ高い山が見えた。火打山だろうか。山頂付近は雲がかかって見えない。もう2時間の行程である。天狗の庭で休むことにして、高谷池ヒュッテの三角屋根を後にした。

高谷池手前からの火打山

お彼岸の天狗の庭、紅葉の始まり

深田久弥も火打山へは笹ヶ峰往復で6月下旬に登っている。高谷池については『池の付近の景色は全くすばらしい。夏ならば高山植物の褥である。』と書いているが、天狗の庭については記述がない。今日の天狗の庭は太陽が出ていないせいか、紅葉が始まっているが彩が今ひとつである。木道沿いには大量の物資が置かれてある。木道か池塘の修理だろうか。庭園越しに見えるはずの火打山も中腹から雲がかかっている。這松の径を進み雷鳥平に出る。火打山は雷鳥の北限の地として知られている。雷鳥の羽音がしたと思い見渡したが、姿をとらえることは出来なかった。まだ、生の雷鳥は見たことがない。さらにナナカマドの坂に息を切らしかけたころ、ひょいと山頂に出た。11時57分火打山登頂、4時間45分、標準タイムどおりの往路であった。

天狗の庭からの火打山

山頂から焼山も妙高も白馬岳も見えない

山頂には20人余りが昼食をとったり記念撮影をしている。霧が出てきて、小雨模様になってきた。これでは山頂からの眺めは全く駄目である。西の焼山、雨飾山、その先に見えるはずの白馬岳も見えない。残念であるが仕方ない。いつかこれらの山から火打山も妙高山を眺めることを胸に誓った。山頂の南面に座り、宿でこしらえてもらったおにぎりとバナナを食べる。最後に標識を二人で挟んで記念撮影をし下山したのは12時45分のことである。雷鳥平をすぎたころ妙高山が雲の切れ間に姿を出した。山はこれである。わずかのタイミング、少々の粘り、これが写真の良し悪しを左右する。天狗の庭まで下りたら、火打山まで見えた。高谷池までの木道を急ぎ、登ってきた道を戻り、笹ヶ峰に着いたのは16時25分であった。苗名の湯で汗を流し、妙高SAで火打ラーメンを食べ、上越JCTまで11キロの停滞に遭い、新潟のアパートに着いたのは10時すこし前だった。こうして次男の気分転換の山旅と親子登山は無事終わった。

広い岩原に標識が一本立つ火打山山頂
火打山から天狗の庭とその奥の雲の中に妙高山
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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