「大峰山脈は大和の国のほぼ中央を南北に走る脊梁であって、長さ約百粁にわたる。そしてその間に主なピークや峠が三十ほどある。」と深田久弥は大峰山の稿に書いている。一般的に、大峰山とは山脈全体あるいは山上ヶ岳を指すが、百名山の対象は最高峰の八経ヶ岳である。ご存じのとおり深田は、洞川温泉から山上ヶ岳に登り、南へ縦走路をたどり、大普賢岳、行者還岳を経て弥山の山小屋に泊まり、翌朝、残雪を踏んで八経ヶ岳の頂上へ登り、どの道を通ったかは不明だが下山している。さて、私はこの山行の最後の山として弥山と八経ヶ岳に挑む。大峯奥駆道の何百分の1、深田の十数分の1の行程ではあるが、多くの登山者がたどる道を選んだのである。午前2時50分起床、3時15分、道の駅黒滝を出発し、4時過ぎ10台ほど車のある行者還トンネル西口駐車場に車を置いた。

登山道に咲くシャクナゲ

尾根コースをヘッドライトを点け

2019年5月25日、午前4時35分、沢沿いの道をヘッドランプを点け登山開始する。この時期の大峰山の日の出は4時40分であるが、登山準備に明かりが必要だったことと沢はまだまだ薄暗かったのである。しばらく行くと沢沿いコースと尾根コースの分岐となり、尾根道を登ることにする。登山道は荒れてはいないが少し急峻なところでは木に掴まりながら体を引き上げ、ゆっくり登ることを心掛ける。道の脇にはシャクナゲの桃色の花を見ることができ、荒い息を整えてくれる。5時30分、奥駆道出合に出るとなだらかな尾根沿いの道となり、下草のない斜面に鹿の姿が現れた。これまで40座あまり登ったが、野生の鹿は初めて目にした。弁天ノ森を過ぎると弥山と八経ヶ岳が顔をのぞかせてくれる。9時20分、聖宝ノ宿跡には行者の座像があった。開山した役ノ小角であろうか。

弥山と八経ヶ岳(左)
聖宝ノ宿跡

弥山から八経ヶ岳へ

聖宝ノ宿跡からは聖宝八丁と呼ばれるブナ林の急登が続き、そこを登りきれば国見八方睨から雄大な大峯山脈の景色が見られる。道は平らになり弥山小屋に着いたのは7時ちょうどであった。すでに数人の登山者がいる。小屋の前を過ぎ、大峯弥山の看板を背に写真を自撮りする。小屋の奥にある弥山天河奥宮にお参りした。今回の山行で4座目の「弥山」達成である。小屋の前の椅子で5分休憩し、八経ヶ岳に向かう。いったん50mほど下り登り返すと30分ほどで八経ヶ岳山頂に着いたのは7時50分であった。錫杖が立ち、その隣の石が丸く積み上げられている縁に、コンクリートで角を成形した三角点がある。女性が一人、釈迦ヶ岳方向を眺めている。三脚を出して記念写真を数枚撮ると、先ほど弥山で話をした男性が登って来て、まもなく釈迦ヶ岳へ行くと言って南下していった。私は、ラジオで「山カフェ」を聞きながら朝飯を食べていると、ふと思い立ちNHKラジオ「山カフェ」に初投稿することにした。

弥山山頂の天河奥宮

下山路で裸足の修験者に

8時30分過ぎ下山する。40分余り山頂にいるたのは稀である。20分で弥山小屋を過ぎ聖宝八丁の下りで転石に足をすくわれ右ひじを擦りむいてしまった。投稿したお便りがいつ読まれるか、気もそぞろになっていたのだろう。すると修験者装束の女性と修験者姿ではなかったが裸足の男性が登ってきた。これまでサンダル履きの外国人登山者は何度か目にしたことはあるが裸足は初めてで、驚く。9時45分、弁天ノ森を過ぎ、読まれるのをあきらめかけていたところ、同51分最後のお便りに私の投稿が読まれた。ニヤニヤしながらさらに50分下り、10時40分駐車場に着いた。15分後、比叡山に向かい出発する。道の駅吉野路黒滝で洗顔休憩し、御所市から国道24号を北上、滋賀県坂本市に着いたのは午後3時半になろうとしていた。

大峰山八経ヶ岳山頂
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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