整った円錐形の山容から“蝦夷富士”と称される後方羊蹄山は、北海道西南部一の高さのある成層火山である。登山コースは、丑寅に京極コース、辰巳に喜茂別コース、午未に真狩コース、戌亥に比羅夫(倶知安)コースの四つがある。中でも交通の便が良いのが比羅夫コースで、外国人に人気の高いニセコのそばである。比羅夫コースから登頂して、下山コースを別に下る場合は、交通の便から考え真狩コースをとるようである。昭文社のガイドもこの縦走コースを載せている。深田久弥は、9月に比羅夫から登り、何の変化もない道をひたすら富士山のように登り、途中から何も見えない霧の中、旧火口を一周して下山した、と書いている。私も、その予定で、4時55分朝靄の比羅夫登山口を出発した。

登山口の樹林帯の道

ニセコアンヌプリを背に登る

登山口から二合目手前の風穴までは緩やかな樹林歩きが続く。こんなんじゃ標高を稼げないぞと思い始めると風穴に着く。ここから急斜面になり登りきったところが二合目である。尾根沿いの登山道を登り、シナノキやホオノキなどの広葉樹林の間から後ろを振り返ると、スキー場で有名なニセコアンヌプリが青いシルエットを見せてくれる。ダケカンバやエゾマツの混成した針葉樹が多くなると五合目である。時刻は6時半を回った。木陰で朝食休憩をしている人がいる。四合目で10分の休憩をしたばかりでなので、傾斜のきつくなった道を高度を上げていくと、大岩のある六合目を過ぎ、矮性に育つダケカンバの七合目の広場で10分間の休憩だ、八合目近くになると、標高1308mのニセコアンヌプリを見下ろす感覚になる。

振り返るとニセコアンヌプリ

樹林帯を抜け高山植物が群生

さらに傾斜のきつくなった登山道をジグザクと登ると、比羅夫コースの九合目分岐の岩場に到着する。右に行けば羊蹄山避難小屋である。深田は、「頂上にはかなりガッシリした小屋があって番人がいた。」と書いているが、現在の避難小屋ではない。外輪山の旧避難小屋(跡)のことであろう。ここで九合目の標識の下部に「羊蹄山登山リレーマラソン大会実行委員会」とある。今調べてみると、倶知安町役場から羊蹄山山頂を10区間としリレーで登山する大会のようだ。2002年、20回大会の要項はあるが、現在はやってないのだろう。九合目分岐を過ぎると、たくさんのシラネアオイ、エゾツガノザクラ、木花シャクナゲ、ミヤマキンバイなど、高山植物が花を咲かせていた。ここは「後方羊蹄山の高山植物帯」として天然記念物に指定されているそうだ。

九合目の岩場、避難小屋への分岐

大火口を半周して最高点へ

北山に上がると、山頂への新しい道しるべがあり、助かる。砂礫の道を時計回りに母釜、小釜を右下に見ながら所どころ石を積んだケルンの道を進む。倶知安町の市街地が左下に見えている。しばらく進むと京極コースが左から合流し、山頂は目の前になる。岩場を慎重に進み、真狩岳の三角点を進み、8時55分、喜茂別ピーク、羊蹄山山頂一八九八Mと刻まれた一本の杭が立っている岩場に立てば、ここが後方羊蹄山の山頂である。ミニ三脚をカメラに着け、下から見上げる形で登頂記念写真を撮る。直径700m、深さ200mの大火口(父釜)には、勾玉状に水が残り、残雪もわずかに残っている。山頂からの眺めをしばし楽しみ、来た道を下山する。登りでは気づかなかったコゼンタチバナの白い花に癒され、程よい疲れで半月湖野営場に着いたのは12時12分のことで、40台ほどの車が停まっていた。

大火口(父釜)
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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