9月初めの姫神山から1週間後に登る山の候補に秋田県と岩手県境の山の候補として2つの地図を準備していた。和賀岳と焼石岳である。和賀岳は歩行時間8時間、標高差1050m。焼石岳は7時間、600mである。楽な方を選ぶこととし、秋田県側の登山口にあたる横手市に出発したのは9月6日午後6時である。9時前道の駅十文字で車中泊。翌日6時過ぎ東成瀬村大森山トンネル手前から横林道に入り、登山者も登山届ボックスも見当たらない3合目の登山口を出発したのは6時30分のことである。

焼石岳は秋田と岩手の県境より岩手県側に聳えてる栗駒国定公園北部の焼石山群の主峰である。東の経塚山、三界山や大森山、牛形山、獅子ヶ鼻岳など、標高1100mの山々がポコポコ連なる名前の通り火山の山だ。8合目から山頂にかけて高山植物が群生する花の山であり、山と渓谷社の花の百名山ではヒオウギアヤメが選ばれているのだが、雪深い山ではあるが9月の今はさすがに咲いていまい。今回は体力づくりが主目的の登山である。

焼石沼と草原、奥に三界山

8合目の焼石沼まで長いアップダウン

登山口から杉木立を登ること15分で県境の分岐点に出る。大森山を巻くように25分歩くと5合目の釈迦懺悔に着く。焼石連山が眺望できるが、焼石岳は西焼石岳に隠れて見えない。ここから黒カッチを越すと稜線沿いの道は緩い下りとなり、胆沢川源流の手前で大文字草を見つけた。大文字草を登山道で見たのは鳥海山の祓川コース以来だろうか。亡父は大文字草の収集家で、それだけで大小300鉢はあったと思う。亡くなって20年、今では80鉢ほどに私が水遣りしている。胆沢川を2度渡渉して6合目の与治兵衛を越し更に進むが、7合目の柳瀞の標識を探し損ね50分歩いて広大な草原の8合目、焼石沼に着いてしまった。それにしても緩いアップダウンの繰り返しは退屈で、約2㎞ほどの道のりを200m上がったことになる。

登山道で出会った大文字草

池の周りは花畑

登り初めて2時間10分、焼石沼から山頂までは1時間20分、約300mの標高差なので、おにぎり朝食休憩をとりながらカメラ片手に沼まで散策することにした。アザミ、ハクサンフウロ、コウメバチソウ、ミヤマトリカブトなどがまだ咲いていた。山頂はと見やると、西焼石岳の左奥の雲間に焼石岳山頂がわずかに見え、南西に目をやると草原の彼方にわれらが鳥海山の姿をとらえることができた。20分の休憩で9合目の焼石神社の分岐目指し200mを登る。段々と焼石岳の山容が間近になり40分かけて分岐に着く。するとすぐ後ろに男性が登ってきた。先を譲ろうとしたらリュックを下ろしたので、最後の急坂に取り付く。大きな岩場を乗り越え、緩やかな稜線を右手に鳥海山を眺めながら登ると10時ちょうどに焼石岳山頂に着いた。

沼の向こうに顔を出す焼石岳山頂

360度の眺望は雲に阻まれる

山頂はかなり広く、山頂を示す標柱1本と石に守られた一等三角点、材木が2、3本横たわっているだけでちょっと寂しい。晴れてはいるのだが、中遠の山々は白い雲が漂っていて望めないのが残念だが、鳥海山は抜きんでているので中腹から上がバッチリ見える。焼石山群の眺望は雄大で、天竺山や経塚山、獅子ヶ鼻岳などなどが連なる様は八甲田山に似ている。写真を撮っていると、先ほどの男性が登ってきて材木のベンチに座り軽食を摂りだした。何度も登っている雰囲気なので声をかけてみる。地元秋田の人で、これから姥石平の花畑を回り下山するという。今度は中沼コースから若い男性が登って、標柱にタッチしてすぐに往路を戻る。私も25分の滞在で下山することにした。増田まんが美術館の「クレヨンしんちゃん原画展」を見に行かねばならない。登山口駐車場に着いたのは12時40分のことで、気がせいたせいか8合目から5合目までのダラダラ下りがむやみ長かったことが印象に残る山行だった。

9合目の岩場からの焼石岳山頂
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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