山小屋の朝は早い。1回目の朝食は大抵5時であるが、その前に立つ登山者も多い。この日の朝4時、部屋の3分の1の人はすでにいなかった。私はというと、今日は午後1時ころまで上高地に着けばよいので、朝食をしっかり食べ、6時前にチェックアウトした。外に出るとこれまでの3日間と違い、常念岳から蝶ヶ岳の上空には暗く厚い雲がかかっている。予報では午後から雨。できれば「最高の4日間だった」と記憶したものである。奥穂高山荘の石畳からザイテングラートを下ると、大きな岩が重なっているところもあり、結構段差がきつい。2本のポールの締め付けを確認して下りることにする。小柄な女性は概して下りが苦手である。段差のあるガレ場の下りはなおさらで、転ぶまいと自分に全集中する。したがって、どれだけ停滞しているかに気が回らないことが多々ある。この日のザイテングラートもそんな感じで、追い越すタイミングがつかめず、涸沢小屋に着くのに80分かかった。
紅葉には早い涸沢
穂高岳のカール、涸沢には涸沢ヒュッテと涸沢小屋の2つの山小屋そして1000張りものテント場がある。夕闇に浮かぶテントの明かりの写真を目にした方も多いだろう。週末、テント泊だけに来る人も多いのだそうだ。涸沢ヒュッテは各種イベントも行われる人気の小屋。一方涸沢小屋のテラスからは、テント場や前穂高が一望できる小屋で、どちらも泊まりたい山小屋ある。涸沢の辺りはナナカマドがわずかに色付き始めていて、紅葉の時期は2週間先だろうか。涸沢小屋の脇を抜け、涸沢ヒュッテには寄らず真っすぐ横尾へ下ることにした。樹林帯に入りSガレの辺りで背の丸いどう見ても90歳近い小柄なお婆さんが下りるのを追い越す。登山への執念恐るべし。唐松岳の八方尾根で見たお年寄りと甲乙つけがたい様子の人だった。2時間半で本谷橋まできたので、休憩することにした。多くの人が休んでいる。残っていたアンパンを食べてエネルギー補充した。
徳沢園のソフトクリームうまし
25分休憩し、横尾に下りる。3日前、槍ヶ岳に向かう時、無事にここに下りて来られるようにと願ったところだ。大キレットを通った時右の脛を擦りむいただけで横尾に着くことができたので、良しとする。50分で横尾を過ぎ、徳沢まで梓川沿いの遊歩道を早足で歩くが、皆健脚なため追い越すことは出来ない。50分足らずで徳澤園に着いた。上高地まであと2時間である。甘いものを補充したいと思っていたら、何人かがソフトクリームを舐めている。大好物を前に素通りは出来ない。早速買い求めようと店内に入ると、昔、牧場だったころの徳沢の写真が飾られてある。ソフトクリームを手に横倒しの丸太に腰かけた。隣のおばさんたちの声は中国語の様だ。台湾か中国かは分からないし在日か観光客かも不明であるがトレッキングの服装はしている。さすが観光地と思わせた。
正午に上高地を後にする
徳沢から1時間20分歩いて上高地バスターミナルに着くと、たたった今バスが出たところだった。だが多くの人が待っているため、臨時便を出すというので並ぶことにした。土産は沢渡で求めることにして、12時15分のバスに乗り、さわんど大橋に40分に着く。バスの中で考えていたことは、スモールランプを点けっぱなしにして車のバッテリーが上がってないかである。はたしてライトはオートになっていた。4日分の駐車料金を払い、さわんど温泉梓湖畔の湯で汗を流し、向かいにある仙乃家で蕎麦を手繰った。グレンパークさわんどへ戻り土産を買い込み、松本ICに高速に乗ったのは午後3時であった。ラジオをつけると、ラグビーWカップ、日本対アイルランド戦を中継していた。前半3点ビハインドを後半10点入れ逆転勝利し、日本が2戦2勝とした興奮で、帰りの道中眠くならずに済み、午後9時45分に自宅に着くことができた。大満足の4日間、休憩を含めた行動時間は約30時間である。