2017年7月9日、午前3時半起床。4時、弁当二つを持って利尻北野野営場に宿の女将さんから送ってもらう。利尻島は面積が182㎢あり、島内には東側の利尻富士町と西側の利尻町があり、総人口は約5,400人である。地名の語源はアイヌ語のリ・シㇼ(高い・島)で、その名のとおり1719mの利尻岳が島の真ん中にある火山島である。利尻岳に登る登山口は主に二つで、利尻富士町の鴛泊コースと利尻町の沓形コースである。稚内からのフェリーが到着する鴛泊コースがよく利用されるが、深田久弥は、沓形からゆっくり登り8時間で山頂に達し、強風で鬼脇へ下りるのは危険だとして鴛泊へと下山し、着いたときは暗くなっていた。

甘露泉

野鳥の森をゆっくり登る

登山口の北野野営場(標高210m)を4時20分出発する。グレーチングの洗い場で靴底の種子を落とし、歩道をしばらく進むと、日本名水百選の「甘露泉」となる。水はたっぷり持ってきたので、のどを潤す程度に水を含む。利尻島の景勝地、姫沼とも結ぶポン山分岐を左に入り、エゾマツ、トドマツの森をゆっくり登る。朝早いこともあって野鳥の囀りが聞こえる。五合目の雷鳥の道標からはジクザクの登り道となる。低木のダケカンバの林を登ること20分、六合目の第1見晴台(700m)にでる。展望が開け、鴛泊港は見えるが、その先の礼文島は雲が厚く見ることはできない。ここからは森林限界となり、ハイマツの絨毯がどこまでも続いている。ジグザクの道を何度も繰り返し登り、七合目の胸突き八丁からは階段状の岩道を登っていく。ゴゼンタチバナ、オトギリなどの高山植物を撮りながら歩くうちに第2見晴らし台に着く。少し登った岩場でおにぎりの朝食をとる。下界を眺めると、鴛泊は見えるが西の利尻空港は雲で見えない。

第1見晴らし台から利尻山遠望

長官山から北峰が美しく迫る

休んでいるうちに中高年夫婦が追い越していく。八合目の長官山(1218m)まで来た。前方の展望が開け、稜線越しに北峰の三角錐が美しく迫る。利尻避難小屋を過ぎ、チシマフウロやウコンウツギなど高山植物に癒されながら登る。するとデジカメが動かなくなった。バッテリーは十分なのに、電源が入らない。買って1年経ってたいないのになんてことだ。予備のカメラは持ってきてないし、この時はまだガラケーである。山頂からの写真を撮れなくなる。気を取り直し、九合目に着く。ここからは利尻山の危険地帯ガレ場の道を登る。火山灰と小石の道が続き、材木やネットで階段を築き、土砂が流れ落ちるのを防いでいる。斜度が増しロープが張られてある切れ落ちた崖の道を慎重に登ると、山頂手前の狭く深い谷の急な道を登る。8時13分、山頂に出た。

長官山からの眺める利尻山

山頂からサロベツ原野に手を振る

利尻山は山頂が二つある双耳峰だが、最高峰の南峰は通行禁止になっているため、一般的に祠のあるここ北峰を山頂としている。山頂には5、6人の人がおり、写真を取り合い会話している。私は撮ってもらうカメラがないので、さびしくガラケーのカメラで自撮りした。スクリューが3つ奉納してある祠にお参りしていると、さっき追い越した夫婦が言うのに「ここで99座、大雪山で100名山登頂になる」というものだった。皆が励ましの言葉をかけ、祝福した。山頂から伯父の住むサロベツ原野に手を振り、しばし眺めを楽しみ8時半下山した。9時半、長官山まで下山すると霧が立ち込めてきた。振り返ると山頂は白い霧に包まれている。4合目からは走り下りて、11時迎えの車に乗り、利尻富士温泉に降ろしてもらう。脱衣所に私の前に下りた男性が入ってきた。鳥取の人で、この人もここが99座目だそうだ。「残りの山は」と聞くと「鳥海山」だという。月山から鳥海山を登るつもりだったが、雨で断念したのだという。私の地元が鳥海山であることを話し、「フェリーで秋田まで行くんなら立ち寄ってください」と言った。

ガラケーで自撮りした山頂の祠

7日間の北海道旅行が終わる

鴛泊港14時半のフェリーに乗り、稚内港に16時過ぎ着いた私は、また、叔父の家に泊まることにした。ジンギスカンをいただき、0時過ぎまで従兄夫婦と語り、翌日9時半に豊富町を後にした。日本海オロロンラインを南下し、留萌から国道233号に進み、深川西ICから道央自動車道に入り、苫小牧東ICで下り、フェリーの時間までウトナイ湖を散策した。19時、苫小牧東港からフェリー乗船、翌11日7時45分秋田港で下船し、10時に自宅にとうちゃこ。7日間の北海道3座登山&叔父訪問の旅が無事終わった。迷惑をかけた従兄夫婦、家を守ってくれた妻に、この場を借りて感謝します。追伸 功伯父さんは2020年5月20日、97歳の生涯を閉じました。合掌