上高地は日本を代表する山岳リゾートである。日本アルプスの峰々に囲まれた標高約1500mの地に、槍ヶ岳を発する梓川の流れに沿って平地が伸びている。大正池から河童橋、明神あたりまではハイカーが訪れる観光地である。その入り口が1915(大正4)年6月、焼岳の大噴火による土石流が梓川の流れをせき止めてできた大正池である。亡き父の古い観光地アルバムには昭和30年代の大正池の写真があり、今より数倍の立ち枯れた木が池の中に立っている。その風景を見たくて大正池バス停に降りたのである。車道から河畔に下り、大正池畔に立つ。朝早いため焼岳は白い雲に覆われていて見えない。写真と違い、立ち枯れの木も数えられるほど残っているだけで、池の水量も土砂堆積と晴天続きのためか少なく神秘的とは言えないのが残念だ。林を通り田代湿原に着く。梓川上流を眺めると、明神岳と前穂高岳が雲間から顔を出してくれた。
ウェストン碑にごあいさつ
田代湿原から林間コースをたどり橋の手前の案内板に目をやり、田代橋を渡る。ここから4時間登れば西穂高山荘に行くが、今日第2の目的地はウェストン碑である。猿が毛づくろいをしている梓川右岸を数分歩くと木立に囲まれた山側の岩壁にウェストン師の丸いレリーフがはめ込まれている。ウォルター・ウェストン師は日本アルプスを世界に紹介したイギリス人宣教師で、日本の近代登山の父と呼ばれる人だ。師の功績を讃えて6月第1土、日曜にウェストン祭が行われる。また数分歩くと梓川の対岸に上高地バスセンターが見え、左のホテル群を抜けると第3の目的地河童橋に着く。河童橋は芥川龍之介の小説「河童」に登場したことで有名になったといわれ、上高地随一の景勝地である。橋の上からは梓川と岳沢の広い谷の奥に左右に連なる穂高連峰と明神岳が絶景を作り出してくれるのだが、今日は奥穂高岳と吊尾根を見せてくれるに過ぎない。橋を渡り穂高岳と橋をバックに記念写真を自撮りした。上高地ビジターセンターに立ち寄り、絵葉書を2枚買う。
嘉門次小屋でイワナを食す
ビジターセンターを出てコメツガの林道を歩くこと35分、明神に着く。ここらまでは観光客が普通の靴で来れる散策路である。徳沢に行く前に明神橋を渡り第4の目的地、嘉門次小屋に向かう。上條嘉門次は上高地で杣、山見回り人夫をしていた人で、ウェストンの山の案内をしたことで有名になった。その子孫が運営しているのが明神池の畔にある嘉門次小屋で、小屋の囲炉裏で焼いたイワナの塩焼きが名物である。穂高神社奥宮にお参り後小屋に立ち寄る。小屋の奥、生け簀にはイワナが泳いでおり、3人の若者が囲炉裏の火にイワナの串を挿している。壁に掛けられているウェストンから贈られたピッケルを拝見し、テーブルに座りイワナを一尾食した。
徳沢から槍沢ロッヂへ
明神に滞在すること50分余りで徳沢に向かう。11時を過ぎたのでお昼を食べようと思い、手前にある徳沢ロッヂに入る。誰もいない部屋をストーブが温めているだけである。お昼を食べられますかと聞くと、「うどんならできる」というのでそれを注文する。30分で食べ終え、徳沢園の脇を抜けるといよいよトレッキングとなる。50分余りで横尾に着く。多くのトレッカーが休憩している横尾の吊橋の前のベンチで30分の休憩をとる。3日後にこの橋を渡るのかと思いながら午後1時10分今夜の宿、槍沢ロッヂに向け出発した。槍沢沿いの登山道を一歩一歩進めば進むほど槍ヶ岳へ近づく。一ノ俣からはいよいよ傾斜が登山道らしくなり、2時30分、茶色の外壁が鮮やかな槍沢ロッヂに到着した。数人のグループが缶ビールで宴会真っ盛りであるベンチを横目に、チェックインし、縦走1日目が終わった。