2018年9月14日に蓼科山、霧ヶ峰、美ヶ原をはしごして、15日は1泊2日で美濃戸口から北沢ルートを硫黄岳に登り、横岳、赤岳頂上小屋に泊まり赤岳登頂後南沢ルートを下山する計画でいた。しかし、昨夜8時から雨が降り続いており予報は1日中雨。明日天気が回復したら赤岳のみ登る日帰りと決め、今日は早川町奈良田にある白籏史郎南アルプス山岳写真館に行くことにした。私にとって未開の地奈良田は白峰三山の玄関口のひとつで、ここから広河原までのバスが出ている。この日は近所の者が友と北岳から農鳥岳縦走すると聞いていたので、どんな状況か見てみたいのも手伝っての奈良田入りである。麓は小ぶりの雨であったが、2000mから上は雲が厚く、荒れた天気が予想された。後日聞くと、北岳で引き返したという。白籏さんのポストカードを買い求め、蕎麦を食べて道の駅信州蔦木宿に2度目の宿を求めた。

白籏史朗さんのpostcard

曇天の美濃戸口から

昨晩は早く寝たことと少し寒かったことで3時に目が覚めてしまい、5時まで寝袋の中で夜明けを待った。5時出発、県道484号、485号を通り美濃戸口に車を停めた。ここから美濃戸まで車で行くこともできるのだが、駐車場が満杯が心配で、6時半、ここから歩くことにした。美濃戸を7時18分で通過し、南沢沿いの倒木の横たわる苔むした岩場のなだらかな道を登る。1時間ほど登ると河原の道となる。白河原から南沢左岸を歩き、林をくぐり行者小屋に着いたのはちょうど9時であった。ここで2度目の休憩をとり、地蔵尾根を登るか文三郎道を登るか考えたが、地蔵の頭から赤岳手前の岩斜面を登るほうが安全と判断し、地蔵尾根を登ることにした。

行者小屋の朝の賑わい

鉄梯子を伝い地蔵の頭へ

行者小屋にはテントも含めると20人余りの登山者がいた。地蔵尾根の道標を見つけ、登山者の後を追う。ここからようやく登山の様相を見せてくれる。登るに連れ霧が濃くなっていく。ほかの所ならステップなどないような岩場に工事現場のステップがかかっているのを見ると、登山者の安全第一を考えている、というより初心者が多く登るんだろうと想像してしまう。南八ツは古い火山のため浸食が進み崩れやすい赤い岩である。いたるところに鎖が下がり、蛇篭、手すりが登山者の安全を助けている。9時50分、東からの強風の地蔵の頭に着いた。小学生もヘルメットを被り登っているのを見て、今日は日曜日だったことを思い出す。赤い頭巾と前掛けの地蔵さんが、アホな私にほほ笑んでいる。

ダウンにレインウエアと寒さ対策の地蔵の頭

霧と強風の赤岳山頂

10分の足休めで疲労回復を図り、赤岳展望荘を横切り赤岳への岩場の尾根歩きを開始する。横岳ほどではないにしても強風にあおられでもしたら滑落もありうる。急がずあわてず岩道を登る。最後の難所赤岳の手前の岩場にさしかかる。足がかりが乏しいのでストックを左手に下げ四つん這いで登る。下りてくる人が立ち止まり動かず、邪魔になる。少し苦戦して最後の尾根の東側を登り頂上小屋に着いたのは10時半であった。上空は青空だが山頂は霧でドコモ見えない。小屋の脇で風を除け、おにぎり2個を食べてから祠のある山頂部へ移動した。霧の中写真を数枚撮り、下山開始したのは11時である。山頂直下は階段で構成されている文三郎尾根を下り、行者小屋へは11時50分に着いた。名物のおでん昼食をとっている登山者にサヨナラし、南沢を下り美濃戸口に着いたのは14時ちょうどであった。八ヶ岳山荘でソフトクリームを食べ、麓のもみの湯で汗を流し、酒田の家に着いたのは午後10時半過ぎ、3泊4日の遠征が終わった。

赤岳への最後の登り。霧と逆光で見えない
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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