台風15号が千葉県に甚大な被害を与えた2019年9月9日の翌日10日、先月下旬脳梗塞で意識不明となっていた妻の伯母が亡くなった。伯母には、30年前、乳児のとき1年間保育してもらい、最近は脳梗塞後遺症の義母がデイケア後の帰宅先として大変お世話になった。15日の葬儀まで慌ただしい日が続き、参列した二人の息子もそれぞれの住処に帰ると、何ともいえぬ虚脱感に包まれた。義母が会話できれば何やかや思い出話をするのだろうが、会話が不自由なので故人を偲ぶこともできないのが残念だ。ラグビーワールドカップが開幕し、日本がロシアに30対10で初戦勝利したのに勇気をもらい、今年最後の遠征を検討しだしたのは21日のことである。
北アルプス南部 槍ヶ岳~穂高岳縦走を計画
今年最後の遠征先は、上高地から入り横尾から槍沢を登り槍ヶ岳へ、槍ヶ岳から南岳、北穂高岳を縦走し奥穂高岳に登り、涸沢へと下りる最もポピュラーなコースを採用した。難所は大キレット。ここを無事通過できるか先輩のH氏に聞いたら、「大丈夫だよ」と言ってくれたので、今週の天気がまずまずなのを確認して、23日に3つの山小屋に宿泊予約を入れた。
山と渓谷2016年1月号の特集『わたしの好きな山』の第1位は穂高岳、第2位は槍ヶ岳、第3位は剱岳である。我が鳥海山は立山に次いで12位で、上位に北、南アルプスの3000m級の山々が占める中、地方の山として第一なのが誇らしい。言うまでもないことだろうが、北アルプスの最高峰の奥穂高岳を盟主とする穂高岳は、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳、涸沢岳などの岩峰群の総称である。迫力の岩稜、急峻な岩壁が人気で、山頂に立たなくてもその岩壁を眺めるだけで満足する人もいる。その昔、私が中学生のころ、穂高岳の山容を版画にしたことをふと思い出した。今回の日程は、9月25日に上高地入りし3泊4日の縦走で28日に下山、帰酒するもので、夏山でもなければ紅葉の時期には早いといった時期で、比較的閑散時期にあたることで、山小屋が予約できたのだろう。
北アルプスのランドマーク、槍ヶ岳
穂高岳に次いで2位の槍ヶ岳は、槍の穂先のような鋭い山容が、どこから眺めてもよく目立ち、「いつかあの頂に」、「山頂で360度のパノラマを楽しむぞ」など、周囲の山から槍を眺めればどうしたって憧れる山である。山岳会の仲間I氏は、新穂高温泉から入り飛騨沢コースを登り、ピストンしたという。そこで今回のコースを再検討する。新保高温泉に車を停め、飛騨沢から槍ヶ岳、南岳、北穂高岳、奥穂高岳を登り、白出沢へ下る比較的安全なルートがある。奥穂高岳までは同じで、ここからジャンダルムを越えて西穂高からロープウェイで下りる難関コースに挑戦するか選択を迫られる。飛騨沢-縦走-白出沢は上高地の表のコースを歩いていないのに裏が先か?で却下。飛騨沢-縦走-西穂高は屈指の難関ルートなので日程の後半疲れが出るころのソロ登山はリスクが高いと判断し、臆病が大事として却下。最もポピュラーなコースの採用となった。
いざ、上高地へ出発
9月24日火曜日、義母をデイサービスに送りだし、午前中は荷物の最終チェックと車への積み込みに精を出した。槍穂縦走に出発したのは午後1時20分。今では通いなれた日本海沿岸道、北陸道を南下し、栄SAで休憩、6時10分米山SAで夕食をとる。上越JCTから上信越道に入り、松代SAを今夜の宿としたのは8時30分である。25日午前4時に起床。20リットル給油し梓川SAでサバ定食を食べ、沢渡駐車場へ車を停めたのは6時40分であった。ここで間違いを二つ犯していた。一つは大型車の駐車場に停めたこと。二つはライトを消したか不明だったこと。始発のバス時刻が気になり消灯確認を忘れてしまい、このことは山行の間中頭から離れなかった。その時はなんの心配もせず、10人ほどの乗客を乗せたバスは定刻に出発した。中の湯バス停、新釜トンネルを通過し、7時22分、私は大正池バス停で降りた。