恵那山と聞いて「岐阜と長野の県境の山だよ」、「確か藤村の「夜明け前」に出てくるね」などという人は、私の周りにはいない。所属する八幡山岳会でもこの山に登ったことがあるのはG君だけだろう。それほど一般にも登山者にも知られていない山である。深田久弥も古くから知られた山でありながら、忘れられた山になっていると記している。深田は岐阜県中津川市の川上(かおれ)の前宮ルートではなく、中津川沿いに開かれた恵那林道を進んだ南側の黒井沢登山口から登り、北側の神坂(みさか)峠に下った。神坂山の下には昭和50年の開通当時は、道路トンネルでは日本一の長さだった恵那山トンネル(8649m)が通っている。役場に入りたてだった私は、そのニュースで恵那山の名前を知ったのだった。さて、今あげた恵那山への3つのルートのほかに近年(2001年)開かれた最短コースでもある広河原ルートを選んだのは、木曽路から近いことと帰りに中央自動車道に容易に出られることが理由である。
川を渡りジグザク道を登る
2020年9月29日、前日夜からの雨はすっかり上がり、駐車場には私のほかに3台の車があった。私が準備する間に男性が一人出発した。5時50分、ゲートの登山ポストに登山届を入れ、広河原登山口まで林道を歩く。トンネルをくぐり、安全之碑と書かれた登山ポスト付きの案内標識から木谷川に下りる。3本丸太の橋を渡り、急斜面に20にも折れ曲がるジクザク道を登る。登山口から15分、「恵那山まで2.8㎞、1/10」の新しめの標識が立っている。針葉樹の登山道はゴロゴロした石や木の根がむき出しになっているところもあるが、笹が刈り払われて快適な道になっている。スタートから1時間半、広場になっている「4/10、1.9㎞」ポイントで休憩をとると一人の男性が抜いていく。登山道から右手の樹々の間から恵那山頂上が見えたが、写真を撮るには至らない。さらに10分ほど登ると東の林が切れ、薄雲に覆われた朝日が照り付けている。「5/10」から先は笹薮が刈られてなく、朝方までの雨に濡れている藪漕ぎとなった。稜線の右側はシラカバなどの林だが、左側つまり東側は針葉樹が低く笹薮斜面になっているので開放感がある。
山頂展望台からは山々見えず
すると東の彼方に南アルプスの山々が遠望できた。どの頂が赤石岳か聖岳かわからないが、この位置方角からは南アルプスに違いない。新型コロナウイルスさえなかったら、今年のうちにそれらの幾つかに登っていただろうに。道はわずかに急になり、木の根が露わになり登りにくくなってきた。「8/10、0.7㎞」で東南の稜線に出る。あとは平らなすり減った石で滑らないように登るだけである。8時47分、展望台のある恵那山山頂に着いた。先ほど追い越した男性がいたが、あいさつもせずすぐに去った。早速展望台に上がり眺望を楽しもうとするが、樹々に邪魔されて周りの山は見えないのが残念だ。展望台を下り標識の前で記念写真を撮り終え、朝食のおにぎりを食べ終わろうとしたところに、私が出発するとき駐車場で支度をしていた女性が登ってきた。一眼レフカメラを首に下げている彼女は展望台には関心がなく、恵那山神社奥宮のほうに歩いていく。間抜けなことに奥宮に参拝することを忘れ、9時12分下山してしまった。
月山温泉も一人入浴
下山のとき「6/10」で若者男性登山者にすれ違っただけで、11時に広河原、11時25分にゲート駐車場に着いたところ車は朝のまま4台だった。9月下旬の平日、登山者がいかに少ない山であるかわかる気がする。今年4座目の百名山は、休憩も含め5時間35分の山行となった。下りてしまえば温泉である。かねてから調べていた野熊の庄月山(げっせん)に立ち寄ると、やはり昼過ぎの浴場は私一人であった。汗を流しリフレッシュすれば高速道に乗る前に腹ごしらえをしなくてはならない。幸い国道沿いの和食の店を見つけ、カツ丼を食べた。飯田山本ICから中央自動車道に乗り、駒ケ根から21年登る予定の木曽駒ケ岳を左に眺める。岡谷Jctで長野自動車道に進み快調に新潟まで来ることができたが、中条料金所でハイウェイカードを読み取りできず、精算する時間、15分停滞することになった。このETCのトラブルはこれで3度目のことで、係の人か親切にもETCのクリーニングカードをくれた。午後9時半に家に着いたら、夜のニュースは新型コロナウイルスの世界の死者が100万人に達したと報じていた。