駒ケ岳という名の山は方々にあるので、その土地の名前が頭についている。そして、登山者は「ケ岳」は省き、秋田駒、木曽駒などとさも親しげに言う。私は駒ケ岳という名前に特に親しみを覚える。というのは、小さい子どものころ、「弥助の馬」と父の実家のおばさんたちから言われていた。昔農家は親戚一同が農作業を手伝っていた。田植えひと段落すると早苗饗(さなぶり)を行い、酒も出てみんなで夕ご飯を食べる。私は、大勢のいとこも集まるのがうれしくて、二つ折りにした座布団を何枚も並べ、四つん這いになり障害物飛越をするのである。だから、駒ケ岳は登らなければならない山にしているのだ。

奥会津まではうんと遠い

福島と山形は隣県であるが、酒田と桧枝岐は陸の孤島。高速道路とは無縁なため、なんと距離は340㎞にもかかわらず、時間は7時間もかかるのだ。北陸道なら福井まで行けて、東京ならおつりがくる時間だ。さて、調べると、2016年7月2日、土曜日が会津駒ケ岳の山開き、翌日が燧ケ岳の山開きである。人ごみを避けるためそれぞれ前日の登山を計画した。6月30日を振替休日とし、9時ごろ家を出た。国道345、47、13、121、118、289、401を通り、所々プチ観光しながら南下した。米沢、会津若松、南会津町間は行けども山また山、とても長く感じられた。桧枝岐村に着いたのは午後5時前である。ミニ尾瀬公園前の駐車場を今晩の宿に決め、村内をいったん戻り、林道終点の登山口を下見しに行った。さらに国道を戻り、道の駅きらら289で食事をとり、8時過ぎ車中泊の人となった。

鏡のような駒の大池から会津駒ケ岳

駒の大池に映える駒ケ岳

朝5時前林道終点に車を止め、5時20分過ぎに駒ケ岳登山口の階段の前に立つ。頂上まで4.1㎞の標識を横目にブナの原生林を登る。水場まで約1.5㎞、標高差570mを1時間10分で登った。ここからは緩やかな道である。オオシラビソの間から尾瀬の山々が見える。あのコブは燧ケ岳だろうか。見晴らしのいい高原に出る。休憩ベンチから見上げると駒の小屋が見え、その稜線の先に駒ケ岳が見える。木道をずんずんと歩く。朝の光を全身に浴び清々しいことこの上ない。やがて池ノ平に出る。燧ケ岳がふわふわの雲とともに大きくせまる。ハクサンコザクラの群生する駒の大池には駒ケ岳が鏡のように映り、実にきれいだ。稜線をすすむこと15分。8時05分、立派な標柱の立つ会津駒ケ岳の山頂に着いた。傍らに木製の山頂パノラマガイドがある。南面のガイドには日光白根山と燧ケ岳の間に富士山と書いてある。さすがに富士までは見えないが北関東の山々が皆見え、素晴らしい眺めを楽しむ。

会津駒ケ岳の山頂
燧ケ岳(左)と至仏山

中門岳まで山上庭園を歩く

草原状の湿地が広がる中門岳まで約2㎞、残雪の残る稜線の木道を北に歩く。イワカガミ、ミヤマツボスミレ、イワイチョウ、チングルマなどが咲き誇っている。40分ほどで池塘のなかに中門岳と書かれた標識に着いた。風はないが雲が出てきて、あたりが薄い霧に覆われ始めた。戻りの木道で、男性に荷物を担がせた女性の二人とすれ違う。木道にストックを刺すなと言われているのだろうか、手首を肩まで上げてストックを下げている。心の叫び。「違うだろ。自分の荷物背負え。木道ではストック片手に持て。」9時30分、駒の小屋。休憩ベンチでしばし佇み、会津駒ケ岳に別れを告げた。11時30分登山口にとうちゃこ。今日のミッション一つ目が終了した。次回お楽しみに。

中門岳方面の眺望
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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