2017年は自然公園管理員として、4月から6月にかけ33回、鶴間池や鳳来山、河原宿を巡視していた。しかし、肝心の百名山めぐりは奥白根と赤城山に登ったきりである。7月の予定を立てるあたり、2014年11月、K叔父の葬儀の時、母の生家で見たポスターをふと思い出した。それはサロベツ原野から見た利尻岳の雄姿だった。サロベツ原野の豊富町は北海道稚内の南の日本海側にあり、戦後まもなくI伯父が開拓で入植したところである。6月半ば利尻島の宿の状況を調べると、夏は1年以上前から満室なのだそうで、運が良ければ旅行日の数日前、キャンセルが出た時とある。6月21日、5本目の電話で宿が確保できた。フェリーも予約完了。北海道は高校の修学旅行以来、45年ぶりである。ついに7月5日から一週間の北海道西部3座登山&伯父訪問の旅の計画が実行する運びとなった。
天童の伯父の近況を確かめに
母の兄弟は8人で、生存しているのは90歳を過ぎた兄二人と弟二人である。特に天童のA伯父はすこぶる壮健で現役仕事人である。警察官を退職後、宅建の資格を取り不動産業をしている。しばらく会っていないので、北海道に行く前に、タケノコ汁を土産に様子を見に行くことにした。3時間ほど、いつものごとく「ああせい、こうせい」の小言を貰い、別れ際に北海道に行くので写真を撮ろうと持ち掛け、帰省していた長男と3人で写真をとった。次いで豊富町のI叔父の息子、つまり従兄に、7月7日ごろ一泊させてほしいと電話し、了解を得た。7月に入り雨が続いている。北海道の晴れを想像しつつ、酒田夢の倶楽で土産を買い、登山用具と共に車に積み込み、万端整えた。
秋田港から苫小牧港へ
7月5日、水曜日。3時40分自宅を出発し、秋田港フェリー乗り場へ向かった。フェリー乗船は初めてのため、早めに着いて列を間違わないように並び、らいらっくは定刻出向した。この日は自衛隊の移動日だろうか。港にはカモフラージュしたトラックと船内には迷彩服の隊員が大勢いた。とても船酔いする性質なので心配したが、天候が良く揺れもせず快適である。船室で横になり軽く眠り、昼食はレストランで豚丼を食べた。船上の一人は退屈である。軽く読めるものとしてオール読物を持参、日本海側のデッキに座り海を眺めつつ本に目をやる。今になって思うのだが、反対側出て秋田、青森の風景を眺めればよかった。午後4時半、苫小牧東港のガントリークレーン、オイルタンクが見える。10時間余りの船旅が終わった。このトレッキングとI伯父を訪ねる旅はいい「思い出」にしなくてはならない。
支笏湖、真狩をとおり登山口比羅夫へ
船から車を下ろし、ナビに比羅夫と入れる。苫小牧市街から国道276号を北西に向かい、国内8番目に大きい支笏湖の南側を走る。樹々の間から見える恵庭岳と湖面がいい風景だ。伊達市を抜け真狩村に入る。正面に円錐形の羊蹄山が夕日をバックにしている。遅くならないうちに夕食を摂らなくてはならない。なんとか開いている食堂を見つけ、カツカレー1100円を注文した。食堂のテレビで天気予報を見る。晴れの予報で気温は15℃~26℃、明日はいい登山日和を予感させてくれた。19時半になりようやく暗くなり、国道5号から半月湖野営場駐車場に入る道を進む。舗装された駐車場にはすでに4、5台の車が停められている。きれいなトイレで用便を済ませ、8時半ころ車中泊の人となり、大遠征1日目が終わった。