奥秩父4座を登り終え酒田に帰った翌日、「北岳・間ノ岳ツアー」の残金69,800円を支払った。前金が10,000円なので合わせると約8万円である。自分で行っても8万円はかからないのになぜツアー参加なのかいとう理由は、一人で南アルプスに入山する術が不案内であることである。もちろんガイド本は数冊あるので、芦安まで行きここからバスで夜叉神を通り広河原あるいは北沢峠まで行き、登る手順は承知している。だがどこに切符売り場があり、とこからバス、タクシーが出るかは現場に行かないと分からない。これが不安の第一なのである。仕方なく団体行動は嫌なのだが申し込んた訳である。
北岳、白根山という名前
北岳は山好きなら誰もが知る日本標高第2位の高峰である。第3位の間ノ岳とその南にある農鳥岳を総称して白峰三山と呼ぶ。南アルプスを愛した山岳写真家白籏史郎氏(故人)が会長を務めた山岳写真の会「白い峰」はここからきている。〔閑話休題〕ここで北岳に関する40数年前の思い出を語ろう。昭和49年に役場に勤め始めたとき、職員有志10数人で行っていたものに「相撲協会」というものがあった。これは、月曜日から土曜日の大相撲の取り組みの勝ち力士を当てるというもので(当時は土曜日は半ドン勤務の時代)、都合12日間の勝ち力士を当てた成績で1位から3位までに賞品を上げ、場所後飲んで職員の親睦を図ろうというものである。投票券には本名でなく四股名を記入することになっていた。私の選んだ四股名は「白根山」である。百名山で白根山と名の付く山は、日光(奥)白根山、草津白根山があり、深田久弥は草津白根山の篇の冒頭に「白根が白峰あるいは白嶺から来たことは言うまでもない」と書いている。私は一番より二番が好きな謙虚でダメな奴である。昔、力士の名前は山、川の名がついたのが多かった。幕下までは本名でも関取になると出世して故郷の名称を〇〇山(川)と付けるのである。そこで地図帳で調べると、1番高い山は誰もが知る富士山であり、2番目は「白根山」で3番目は「穂高岳」だった。そこで白根山としたのである。ところが幾星霜、山に登るようになり、深田久弥の日本百名山を読むと白根山が入っていないではないか。日本第2位の高峰は北岳になっている。高校時代の地図帳は捨ててしまい確かめる方法もない。しかしこれを書くにあたって、ネットに1件有力なページがあった。「30年以上前の小学生のころの地図帳には『北岳』ではなく『白根山』もしくは『白根山(北岳)』と書いてありました」というものである。これで私の記憶も多少裏付けられたのではないかと安心している次第である。
夜中の出発、昼、広河原に着く
ツアー出発前、旅行社から参加確認の電話があった際、山行日の天気は雨の予報だったので、真っ先に「中止ですか」と聞いたところ、「どうなるか分からないので行きます」ということであった。2018年は雨にたたられた年であった。きっと雨にたたられると思いつつ、2019年6月23日、午前2時半、バス乗り場に着いた。真っ暗な中、指定された座席に着き2時50分の出発を待つ。前日は集落内の同年の人の通夜に出席しており、21時に寝て25時50分に起き、集合場所に来ていたのでとにかく眠ろうと心掛けた。バスは余目、鶴岡とツアー客を拾いサービスエリアで休憩をとる。薄々感づいていたがこのツアーには八幡山岳会から3人、地元の登山好き女性2人の声がしており、私の存在をここで知られる。バスは高速道を下り、南アルプス市の登山基地芦安に向け曇り空の山道を登る。11時芦安で大型タクシー2台に分乗し、夜叉神峠をトンネルで抜け、南アルプス林道進み広河原に着いたのは12時ころである。
難産の南アルプススーパー林道
南アルプス林道は、建設当時南アルプススーパー林道の名称で、山梨県芦安村安通から長野県長谷村黒河内にかけて58.7㎞、1967年着工、80年完成した林道である。これより以前、野呂川流域の森林伐採を目的に野呂川林道の建設が始まり、62年に開通し山間奥地の交通の便は格段に向上し、北岳への登山ルートとして重宝された。深田久弥は10月半ばの朝、池山小屋を出発して吊尾根をたどって午後遅く北岳頂上に立っている。登山年が分からないので野呂川林道を利用したかは不明だが、奈良田から野呂川を遡ったのは確かである。そこでさらに観光振興をと、スーパー林道の建設が始まったのだが、64年に南アルプスが国立公園に指定されたこと、急峻な地形をゆく山岳道路は自然破壊になるとして建設反対運動が起きた。紆余曲折の末、79年11月全線開通し、現在に至っている。ちなみに、田中澄江の「花の百名山」仙丈岳の篇に「野呂川林道を広河原までバス。南スーパー林道を歩いて、北沢長衛小屋に入った」「この開発道路は、42年から建設されていて、まだ成就せず、長衛小屋の前には、廃道にせよ、という大きな幕がかかげらけている」とある。私たちが通ったその年、2019年10月の台風19号により、広河原北沢峠間に大規模な崩落が発生し、この間は通行止めとなっており開通のめどはたっていない。深田久弥は北岳の篇の最後に、「近年芦安から夜叉神峠をトンネルで抜けて野呂川の広河原まで車道が完成し、奥深い山であった北岳も簡単に登られるようになった。喜ぶべきか、悲しむべきか、私は後者である。」と書いている。