安達太良山を正午前に下りた。それほど疲れがなかったので、午後は磐梯山を駆けることにした。昼飯の時間も惜しみ、持ってきたパンをかじりながら国道459号へ出て、国道115号を西へ土湯トンネルをくぐりまた459号へ。檜原湖から磐梯山ゴールドラインを南下し、八方台登山口駐車場に車を入れた。

表と裏で異なる山

「会津磐梯山は宝の山よ」と福島県を代表する民謡に謡われているように、磐梯山は会津地方を代表する山である。独立峰であることから四方から山頂を目指すルートがある。主なものとして、南側からは表登山口からの猪苗代コース、翁島口からの翁島コース、西側の八方台コース、北側には裏磐梯コースと川上コースがある。御存じの方も多いと思うが、1888年(明治21年)7月15日朝、磐梯山北側の小磐梯は大爆発をした。その山形は吹っ飛び、溶岩は北に向かって流れ檜原村の集落はその下に埋められた。死傷者500人以上の大惨事であった。その後裏磐梯という景勝の観光地として地域経済の要となっている。私が八方台コースを選んだのは、ただ標高差が620mと少なく、標準登山時間が登り2時間10分、下り1時間50分と短いからである。裏磐梯散策の楽しみは後に残しておこうと思ったからでもある。

猪苗代側からの表磐梯山

今なお荒々しい火山壁

午後1時20分の八方台駐車場には晴れの日曜日にもかかわらず、車が5台しかなかった。すでに登り終えたのだろうか。車を降り、すぐ広い登山道に入り、ゆるい傾斜を急がないように登った。中ノ湯分岐で裏磐梯コースと合流するが登山者に出会わない。硫黄のにおいだろうか、いわゆる温泉のにおいがする。次第に登山の様相となる。50分ほどで弘法清水とお花畑分岐の看板にでた。弘法清水まで300mとある。近くに咲いているヒメシャジン、クルマユリを撮影し、弘法清水小屋に向かった。小屋には数人のお客さんが下山の支度をしていて、店じまいの最中であった。小屋から展望のきくところからは、有名な天狗岩か見えた。清水とあれば味見をしなくてはならない。手ですくい飲もうとすると、「四合目弘法清水」とある。ん!山頂まで190m足らずだぞ。間違いか?登山道に戻り、急登を登る。途中見晴らしのきくところで爆発した斜面が眼下に見えた。いまは樹木に覆われている裏磐梯が130年前は岩と溶岩で埋め尽くされていた一端をみることができた気がする。

磐梯山の北斜面、土がむき出しのままである
平らな山頂に岩を積み上げた祠がある

山頂は岩を積み上げた?

弘法清水から25分、山頂にとうちゃこ。磐梯山頂の大きな看板が出迎えてくれる。平坦な山頂に岩を積みあげたようなところがある。磐梯明神と彫られた石碑と祠がある。時間は3時20分、3人の中国語を話す若者がいた。記念撮影をし、北側に目をやる。荒々しい山腹の先に小野川湖などの湖、その先に西吾妻山の峰々がきれいに見える。三角点「磐梯」の脇にプレートが設置されている。「明治37年に設置されたが、浸食で亡失した。平成22年10月に、磐梯山三角点復旧支援会の協力で再設置されたとある。」地元山岳会が三角点の標石、盤石を運び上げたのだろうか。三等三角点は標石の長さが79㎝、重さは65㎏ある。標石の下に敷く盤石は一辺が36㎝、厚さ11㎝、重さ30㎏である。勤めていた時、四等三角点の測量設置にかかわったことがある。四等は補助的三角点なので小さいが、それでも標石40㎏、盤石20㎏である。設置点が選定されると運び上げるのに地元建設会社の人夫を雇い、担いでもらったことを思い出した。来た道を疲れをおぼえながら下り、八方台に着いたのは5時を少し過ぎたころで、合計3時間40分の登山は終わった。1日2座を登り、充実した気分で布森山温泉で汗を流し、猪苗代町のラーメン屋で遅い昼食を食べた。

三等三角点「磐梯」
著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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