2019年5月1日、第126代天皇、徳仁(なるひと)が即位した。年は59歳で、8世紀以降、第49代光仁天皇(770年~781年在位)の61歳に次ぐ2番目に高齢での即位である。世間ではなんとなく明るい未来がくるような気がすると言祝いでいる。さて、2019年の山行は決意も新たに、中国四国から始まった。5月19日日曜日午前4時半に起床し、かねて用意の荷物を車に運び入れ、5時20分、妻に見送られ鳥取県伯耆大山に出発。新潟から富山、金沢を北陸自動車道で進み、敦賀JCTから舞鶴若狭道へ入り、綾部ICから国道9号へ下り、大山博物館駐車場に着いたのは19時50分であった。休憩を含めた移動時間14時間30分、走行距離915㎞は、一日としてはこれまでの最高である。

大山寺の山門

強風で大山登山延期

5月20日、月曜日、午前4時40分、強風で目が覚める。雨も降っている中、トイレで洗顔。あたりを散策しながら今日の予定を考える。天気予報は芳しくない。登山は延期することにし、大仙寺と大神山神社奥宮を見てから、境港の水木ロード、松江城、出雲大社の観光を先に済ませることにした。5時40分駐車場を出て大山寺の参道を登っていくと、モンベル大山店のごみ入れが横倒しになっているのをそのままに、大仙寺に着く。大仙寺は奈良時代に開山された天台宗山岳仏教の霊場である。一時は3000人もの僧兵を抱えていたそうで、現在は山腹に10ヵ所の支院などが残る。大仙寺から石畳と石段を登ること15分、大神山神社(おおがみやまじんじゃ)奥宮に着く。社殿前の石段が崩れかけていて、左半分が立ち入り禁止になっている。権現造りの社殿は壮大で修行僧の道場が始まりだそうだ。朝6時と早いので境内には誰もいなかったが、下りの参道で1人の女性が登ってきたのに出会う。

大神山神社奥宮

松江城で国宝5城を制覇

6時半に駐車場に戻り、大山夏山登山口の駐車場を確認しに行った。さすがにこの天気では数台が止まっているだけである。大山から米子市内に下り、牛丼の朝食後、境港駅近くの駐車場に車を入れた。駅から800mほどの道の両側に177体の妖怪ブロンズ像が点々と置かれている水木ロードを散策する。8時を過ぎたばかりなので、店も開いていないし人通りもないなか、戻る途中一軒の土産物屋が開けるところだったので、お酒と図書館職員の土産に飴を買った。松江市に向かう途中、中海から大山を眺めたら中腹から上に雨雲が立ち込めていた。ここで今日の大山登山は諦めた。ここで大ポカ、江島大橋を通らなかったことが悔やまれる。松江城は慶長16年(1611)に築城された四重五階、地下1階の天守が現存する城で、2015年に国宝指定されている。ここの珍しい所は天守に井戸が現存することである。兵糧攻めにあっても水があれば数日抵抗できる。これで国宝5城を見たことになる。次に江戸時代につくられた堀と町割りが残る水の都松江、堀川沿いを巡り、小泉八雲記念館に行き、見学後文庫本怪談を1冊求めた。

四層五階の天守の松江城

出雲大社の大注連縄のでかいこと

出雲大社神楽殿の大注連縄の前で

宍道湖の北沿いを走り、昼過ぎ出雲大社に着く。土産物屋の並ぶ参道で蕎麦を食べ、縁結びの神、福の神として知られる大社拝殿にお参りし、日本最大級の大注連縄のある神楽殿前で記念写真を撮った。明日も山陰の天気は曇りの予報なので、明日は広島、そして四国松山の道後に行き、石鎚山を先に登ることに決め、一旦中国山地を横断することにする。宍道JCTから松江自動車道、通称中国やまなみ街道に入り、口和ICから道の駅ふぉレスト君田に下りた。温泉に二回入り、地元ブランド豚霧里ポークの生姜焼き定食を食べ、19時半ころ広島に向かった。三次東CTから中国自動車道に乗り、安佐SAを今日の塒としたのだが、24時間営業のコンビニ、ガソリンスタンドがやかましく、ゆっくり出来ないまま、21時半ころ眠りに就いた。慌ただしい1日が終わる。

著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です