14日、今日の朝刊に、福島市と米沢市は、吾妻山の登山者向けアプリ「YAMAP」、多言語トレイルマップなどを作成したと出ている。深田久弥は吾妻山を次のように書いている。『一口に吾妻山と呼んでも、これほど茫漠としてつかみどころのない山もあるまい。福島と山形の両県にまたがる大きな山群で、人はよく吾妻山に行ってきたというが、それはたいていこの山群のほんの一部にすぎない。』 およそ吾妻山は、東と西に分けられる。交通の便が良く標高差も400mとほどよく眺めの良い東吾妻と標高は一番高いが山頂の眺望が全くない西吾妻山である。会津若松から夜のドライブで天元台のロープウェイ駐車場に止めた私は、5時前に目覚め、8時10分のロープウェイ運航開始を待っていた。

天元台スキー場、別荘が立ち並ぶ

天元台といえばミスターデモ、佐藤正人

1980年代は今の何倍もスキーが盛んであった。原田知世の『私をスキーに連れてって』は1987年11月の公開である。そして鳥海山南麓にもスキー場開発計画があったころである。当時は基礎スキーが全盛で、全日本スキー技術選手権が開催され、旗門をくぐるレースとは違う、スキー教程にどれだけ忠実に表現できるかを競う大会があった。中でも山形県の2選手は、私たちの憧れであった。一人は湯殿山スキー場の渡部三郎さん、愛称「サブちゃん」。『私をスキーに・・・』出演の三上博史のスキーシーンの吹き替えを務めたトップデモである。そしてもう一人は天元台スキー場の佐藤正人さんである。佐藤はデモ選1位4回、2位3回の圧倒的成績でミスターデモンストレーターと呼ばれる。私は20代スキーにはまったが一向にうまくならなかった。だが、スキークラブの遠征でサブちゃんには2度ほど会ったことがある。蔵王の国体コースの滑降が速かったのは忘れられない。夏に会えるわけはないと思いつつ、佐藤の滑りのビデオを頭に浮かべながらゴンドラ、リフト3本を乗り継いで900mを一気に稼ぎ、北望台に着いたのは9時過ぎであった。

1950mにある人形岩
木道脇のコバイケイソウ

人形石から木道を経てオオシラビソの森へ

リフト終点展望台からはリフトとゲレンデ、その先に米沢市街が見えるが朝日連峰はかすんでいる。展望台をあとにして人形石まで140mの登りに入った。低い樹木のなかを進むと見晴らしのいい岩場にでた。吾妻山高度指導標の標柱が人形石の脇に立っている。飯豊も朝日も東吾妻も雲が邪魔してよく見えない。中大巓の分岐、大凹と木道を進む。数は少ないが池塘があり、イワイチョウ、イワカガミ、チングルマ、ワタスゲ、コバイケイソウなどが咲いている。天狗岩から山頂方向を眺める。オオシラビソに覆われたこんもりした山に、白い登山道を登る一人の登山者が見える。11時西吾妻山山頂に着いた。樹林の中に、吾妻連峰最高峰西吾妻山の標識が1本立っているだけである。記念撮影をどうしたものか迷っていたところ、男子小学生を連れた男性がやってきて、タブレットで写真を撮ってくれと頼まれた。ならばと私も撮影を頼み、いいアングルの写真を撮ってもらった。下山は西吾妻小屋をめぐり、大凹、かもしか展望台を経て北望台に12時25分、リフトとゴンドラで13時40分駐車場へ戻った。こうして、7月26日、日曜日午前4時出発した山行は、安達太良山、磐梯山、西吾妻山の三山に登り、27日午後6時家に着いて終了した。この時、百名山は10座を登ったに過ぎない。

天狗岩からの西吾妻山
縦と横の2枚撮ってもらった1枚

著者

わたるくん

1955年生れ 登山を頻繁に行うようになったのは退職後、地元の山岳会に入ってから。 2017年から2020年まで山形県自然公園管理員(鳥海国定公園)。

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